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  <title type="text">恐怖の殺人の真実</title>
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  <updated>2015-11-25T20:40:11+09:00</updated>
  <author><name>恐怖の殺人の真実</name></author>
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    <published>2016-09-14T20:43:37+09:00</published> 
    <updated>2016-09-14T20:43:37+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>ネパール邦人女性失踪事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「ああ、苦しい。……悔しい……」<br /><br />関西在住のMさん（29歳）が世界旅行中にネパールで行方不明になった。<br />Mさんは8月中旬、自宅に泣きながら電話をかけていたことが大阪府警の調べでわかった。電話は一方的に切れ、最後の音信となった。<br />母親が電話に出ると「M・Sさんが…」などと泣きながら訴えたので、「どうしたの」「どこにいるの」などと問いかけた。<br />しかし、「ああ、苦しい。……悔しい……」といって泣きじゃくるばかり。しばらくして電話が切れたという。<br /><br />― 事件？事故？失踪？ ―<br />同じ頃、アジア・アフリカなどを回る1人旅に出ていた同じく関西在住のM・Sさん（29）が、ネパールで失跡していたことも分かった。<br /><br />家族が現地まで足を運んで捜したところ、ヒマラヤ登山口の町のホテルに、衣類などの入ったザックが残されたままになっていた。<br />ネパールの日本大使館は「なんらかの事件に巻き込まれたのか、事故なのか、断定できる材料はない」<br /><br />M・Sさんは、アルバイトでためたお金で、東南アジアから中国、ソ連、中近東、アフリカ、インドを経てネパール入りしていた。<br />ほぼ週に1度は家族に現在地や予定を知らせる手紙、写真などを送ってきたが、カトマンズから「4週間くらいの予定でヒマラヤ・アンナプルナ方面へ山歩きに行く」という内容の手紙を出したのを最後に連絡を絶っていた。<br /><br />二人の間に何があり、何が起こったのだろう。事件か、事故か、失踪か。二人の行方は杳としてつかめない。<br />]]> 
    </content>
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-08-02T18:50:47+09:00</published> 
    <updated>2016-08-02T18:50:47+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>福島女児行方不明事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[1991年7月25日9時30分ごろ、Mちゃんは遊びに来ていた2人の女の子の3人で川の字となって、2階の洋間で寝た。翌朝Mちゃんの姿がなかった。<br /><br />― 事件当日の状況 ―<br />この夜、家には主人と妻のさち子さん（仮名）、長男、次男、Mちゃん、祖父母、姪（当時17歳）、姪の恋人のK（当時20歳）の9人と妻の友人の子供2人（女の子）が泊まりに来ていた。<br /><br />9時ごろ、Mちゃんの祖父母は1階洋間のKの部屋の電気が消えるのを見た。また、同じ頃、2階の部屋で主人は長男・次男と寝始めた。<br /><br />9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。<br /><br />9時30分ごろ、Mちゃんは遊びに来ていた2人の女の子の3人で川の字となって、2階の洋間で寝た。<br /><br />10時30分頃、さち子さんがMちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットを掛け直した。<br />その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが南の方に歩いていくのを目撃した。<br />しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。さち子さんは主人や長男らの眠る部屋で眠りについた。<br /><br />午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていた。<br />祖父母は2階にやってきて「Kがいない」と主人を起こすが、「明日聞くから」とまた寝てしまった。<br /><br />午前5時20分、Mちゃんと一緒に寝ていた子どもが目を覚ますとMちゃんの姿がなかった。<br /><br />午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。<br />Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。<br />駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし、郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた」といった。<br /><br />― 犯人はK ―<br />主人には犯人の目星はついていた。<br />会社で働き、姪の恋人であるK。姪は親が離婚し、荒れて暴走族に出入りするようになる。<br />この時知り合ったのがKであった。Kは姪に主人の建築会社を紹介してもらい、ここで働くようになっていた。<br />しかも1階の姪と同じ部屋に同居していた。<br /><br />Mちゃんが行方不明となってから2ヵ月後、KがMちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていたという証言を得た。<br />しかし警察は「無理に引き出させた証言」として相手にしなかった。<br />主人はKを徹底マークしていた。彼に四六時中つきまとったり、Kの家のまわりにMちゃんの行方の情報提供を求めるポスターを貼ったりした。<br />しかし、具体的な手がかりはなにも掴むことが出来ず、ある時、主人はKの顔を見るのも嫌になり、尾行するのをやめた。<br /><br />Kはその後、2週間に渡る取り調べを受けたが、解放された。郡山までKを乗せたというタクシー運転手が現れたからだ。<br /><br />事件から10年以上経った今も、発見につながる情報はない。<br />]]> 
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-06-08T16:51:22+09:00</published> 
    <updated>2016-06-08T16:51:22+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>謎の連鎖自殺</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[これは、一週間ごとに、それも決まって水曜日か木曜日に自殺するというミステリー。<br /><br />1992年6月から7月にかけて、関西地方の主要都市で17歳から22歳の若者が連続して自殺、変死するということがあった。<br />しかも場所は、すべて大阪府熊取町半径1.2km以内に集中していた。単なる偶然だろうか。<br /><br />― 毎週自殺 ―<br />6月4日（木）無職・A君（17歳）：自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺<br />6月10日（水）土木作業員・B君（18歳）：かつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺。<br />6月17日（水）旅館従業員・C君（18歳）：農作業小屋で首吊り自殺。<br />6月25日（木）熊取町在住の岸和田市職員D君（22歳）：町内の森で首吊り自殺。<br />7月2日（木）熊取町内の女子大に通うE子さん（19歳）：首と胸を果物ナイフで刺し自殺。<br /><br />この5人の自殺の前に2人の17歳が亡くなっていた。<br /><br />4月29日（木）板金工のX君（17歳）：シンナーによって熊取町内の貯め池に落ちて死亡。<br />5月29日（金）無職・Y君（17歳）：シンナー吸引による心不全で死亡。 <br /><br />― 自殺者のプロフィール ―<br />A君：中学3年時はほとんど登校せず、パチンコ店などに繰り出していた。<br />卒業後は美容師の専門学校に入学するが中退、1991年、B君、C君らとともに暴走族を結成。シンナーを常用。<br /><br />B君：A君、C君らと立ち上げた暴走族のチームでは特攻隊長。<br />A君の葬儀では「何で死んだんや」と悔しがり、「俺たちはしっかり生きていこう」と仲間を励ましていた。<br /><br />C君：B君自殺の報せを聞き熊取町に戻ってきた。<br />しばらくして以前付き合っていた女性に会いにいった。だが女性から「もうすぐ他の男性と結婚する」と聞き、友人に「ロープはないか」と言っていたという。<br />その6時間後、自殺死体となって発見された。<br /><br />D君：熊取町在住、岸和田市職員。<br />E子さん：大阪体育大学生。高校時代はソフトボールをやっていたが、大学進学後は陸上競技に転向。町内の学生寮に住んでいた。遺書なし。<br /><br />X君：A君・B君の中学時代の後輩で在学中に交流があった。<br /><br />Y君：A君・B君とバイク仲間だった。3人でよく走っていたという。<br /><br />― 自殺？他殺？ ―<br />この事件を自殺とするにはあまりにも不可解な要素が多すぎた。しかし他殺と断定する証拠が見つからないのも事実だった。<br />・誰も遺書らしきものを用意していなかった。死ななければならない理由も思い当たらない。<br />・農作業小屋で首を吊ったC君はなぜか手首を後ろ手に縛っていた状態で死んでいた。これから死のうとする人間がどうして手を縛る必要があったのか。<br />・D君は小高い丘にあるクリの木でシャツに首を吊って自殺したが、そのシャツはとうてい手の届かない高い枝にかかっていた。<br />・E子さんは陸上競技の自己ベスト記録を出したばかりで喜んでいた。当日、血だらけの状態で発見されたE子さんは意識が朦朧とする中で「違う、違う」と繰り返していたという。<br />・B君、C君、E子さんの3人は以前から知人や家族に「車に追われている」と話していた。B君は「白い車に追いかけられている」。C君も「何度かそういうことがあった」と話したという。E子さんは友人に「黒い車につけられている」と話していた。<br /><br />本当に自殺なのか。連鎖したしたように起こったのは、振り返ってみたらそうだったくらいの偶然にすぎなかったのか。<br />しかし、何かに追われるように若い命は次々と消えて行った。<br />]]> 
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-05-30T20:39:16+09:00</published> 
    <updated>2016-05-30T20:39:16+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>婚約中女性失踪事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[21歳。3週間後に結婚を控えていた。<br />1994年2月19日13時10分、前田ひとえさん（仮名）は、勤め先での最後の仕事終え退社。そのまま行方不明になった。<br />愛車は市内に放置されており、所持品が全て車内に残されていたほか、車体に中傷の落書きがあった。<br /><br />― 不審な伏線 ―<br />1月25日<br />後に発見されたひとえさんの手帳に、この日の日付で婚約者の愛人に関するメモがあった。<br /><br />2月19日<br />職場にひとえさん宛てに女性から電話がかかる。時計を見ながら何かを話していたのを同僚が目撃。<br /><br />同日13:10<br />ひとえさん勤務先を退社。これ以降の足取り、不明。<br /><br />― 奇妙な電話 ―<br />翌年(1995年)1月4日、実家に中年女性から電話がかかる。 <br />妹　「はい、前田です｣<br />女　「もしもし｣<br />妹　「はい｣<br />女　「おねえちゃんだよ｣<br />妹　「はいっ？｣<br />女　「おねえちゃん｣<br />妹　「誰ですか？｣<br />女　「おねえちゃんだよ～」<br />妹　「どちら様ですか？」<br />女　「ひとえです」<br />妹　「はぁ？｣<br />　　「…　…　ガチャン」<br /><br />電話の相手は明らかに中年女性と分かる声。<br />警察が調べたところこの電話は、公衆電話からの入電だったという。<br />この声の主がひとえさんの手帳にあった「婚約者の愛人」なのだろうか。<br />だとしたらどうしてこんな「危険」な行動をとったのか。ひとえさんはいまも発見されていない。<br />]]> 
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    <published>2016-05-25T21:47:39+09:00</published> 
    <updated>2016-05-25T21:47:39+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>坪野鉱泉肝だめし女性行方不明事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「肝試しに行く」<br /><br />富山県氷見市の19歳（当時）の女性ふたりが乗用車で家を出た。1995年5月5日の夜のことである。<br /><br />同日深夜になって、ポケットベルで「いま魚津市にいる」というメッセージを友人に送ったのを最後に音信がぷっつりと途絶えた。<br /><br />― 週刊誌で話題の「肝だめしスポット」 ―<br />魚津市の山中には廃墟と化した元温泉旅館跡があり、「肝試しの場所」として週刊誌でたびたび取り上げられていた。<br />記事によると坪野鉱泉旅館跡地は、週末になると地元富山県だけではなく、石川県、新潟県、福井県、岐阜県など他県からも集まる暴走族らのたまり場。ふたりはそこに向かっだと思われる。<br /><br />― ヘリと山岳捜索隊による捜索 ―<br />ふたりはもちろん、ふたりの乗った乗用車も発見されないことから富山県警はヘリと山岳捜索隊を組織。崖下など車が転落しそうなポイントを捜索したが徒労に終わった。<br /><br />坪野鉱泉旅館跡地が暴走族のたまり場であったことから事件に巻き込まれた可能性もあるとして、現場検証も行ったが何の収穫もなかった。<br /><br />― 消えた足取り ―<br />ポケットベルで「いま魚津市にいる」というメッセージを残したまま、杳として行方がつかめないふたりには「暴力団による人身売買説」も浮かんだが、これもまだ憶測の域をでていない。<br />富山県警と氷見・魚津両署は転落などの交通事故、および事件の両面から捜査を続行しているが、16年後の今も全く手掛かりがない。いったいどこへ？<br />]]> 
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-05-13T09:12:36+09:00</published> 
    <updated>2016-05-13T09:12:36+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>ジョンベネ殺害事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[最初に疑われたのは父親だった。<br /><br />1996年12月25日、米国・コロラド州ボルダーで6歳の国民的美少女が殺された。<br />少女は口をガムテープで塞がれ、首に紐で縛った痕、頭部に打撲傷。性的暴行を受けていた。<br />死因は絞殺。掌にハートのマークが書かれていた。<br /><br />― クリスマスの惨劇 ―<br />1996年12月25日、少女とその家族はクリスマスパーティーに出席し、帰宅中に車の中で寝ていた少女を父親が抱きかかえて、自宅のベッドに連れて行った。<br />翌26日早朝、少女がベッドから消えており、母親は警察へ通報した。<br />捜査員は家中を探したが、地下室の1部屋だけ探すのを忘れていた。<br />家の中では、指紋が拭き取られた跡があった。<br /><br />階段に犯人からの手紙があった。<br />手紙には「午前8時から10時までに連絡する。警察に通報するな。身代金11万8,000ドルを用意しろ」。<br />この家にあった黄色いメモ用紙3枚に手書きされていた。<br />AD<br />― 奇妙な一致 ―<br />10時を過ぎても犯人から連絡がなく、念のためもう一度家中を探したところ、前回探し忘れていた地下室で少女の遺体が見つかった。<br />捜査陣は身代金目的の犯行ではなく、性的暴行だけが目的で誤って殺害されたとの見解を示した。<br /><br />身代金11万8,000ドルという数字は、父親のボーナス額と全く同じであった。これはこの家に精通している者の犯行を示唆していた。<br /><br />まず父親が疑われた。<br />父親はもともとロリコン傾向があり、娘を性的に表現した文章も見つかったためだ。<br />しかしDNA鑑定の結果、少女の体内に残された精液と父親の体液が一致しないことが判明した。<br /><br />― 振り出しに戻る ―<br />また、事件から数ヵ月後には少女と同じダンス教室の少女が何者かに誘拐されそうになる事件が起きる。<br />その後、2006年8月16日、タイ・バンコクで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕されたが、DNA鑑定結果は不一致であり、再び事件は振り出しに戻った。<br />2008年7月9日、再度DNA鑑定が行われ、家族の全員の潔白が改めて証明された。<br /><br />― 失点 ―<br />この事件では警察が現場保存の規制を怠ったため、少女の身体についていたとされる多くの物的証拠が両親の涙などで流されて消失し、捜査を難航させる結果を招いたといわれている。<br />事件を迷宮入りにさせかねない捜査陣の大きな失点といえそうだ。<br />]]> 
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-04-20T20:40:34+09:00</published> 
    <updated>2016-04-20T20:40:34+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>ソフィー・トスカン・デュ・プランティエ殺害事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[1996年12月23日の夜、彼女は就寝前に台所のドアを激しくノックする音を聞いた。<br /><br />彼女がドアを開けたところ、突然凶器で殴られた。彼女は抵抗を繰り返した。<br />その証拠に彼女の爪には犯人を引っ掻いた形跡が残っていた。庭に逃げたが、そこで犯人は執拗に頭蓋骨を強打。彼女は撲殺された。<br /><br />― 有名映画プロデューサーの妻 ―<br />彼女は有名なフランスの映画プロデューサーの妻で、テレビのプロジェクトの準備のため滞在していたアイルランドコークの別荘で被害に遭った。<br />警察は事件がのどかな田舎町で発生したこと、外部の人間は別荘へのアクセスが困難であることから、周辺に精通していた人物の犯行であると推定した。<br />しかし、殺害に使われた凶器は発見されず、 検視官の到着も事件発生時刻から約36時間後であったため、正確な死亡時刻の推定には困難を極めた。<br /><br />― 司法の壁 ―<br />容疑者としてアイルランド在住の元ジャーナリストが2度逮捕されたが証拠不十分のため釈放された。<br />遺族の働きかけにより、2010年にヨーロッパ逮捕令状 (European Arrest Warrant) が発行された。<br />しかしアイルランド司法の問題により、フランスへの容疑者身柄引き渡しは未だ行われていない。<br />]]> 
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    <published>2016-03-29T14:29:36+09:00</published> 
    <updated>2016-03-29T14:29:36+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>有名企業エリートOL殺人事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「神様、やっていない」「神様、助けてください」<br /><br />その男は裁判長に向かって叫び、傍聴席を振り向いてもう一度「やってない」と叫んだ。<br /><br />1997年（平成9年）3月19日午後5時半ころ、東京都渋谷区円山町の木造2階建てのアパートの1階101号室の空き部屋で、会社員児嶋恵子さん（39歳・仮名）が絞殺死体で発見された。<br /><br />― 遺留品 ―<br />恵子はバーバリーのベージュのコート、下には青のツーピース、下着には乱れはなかった。<br />長い髪の毛にはなぜかボールペンが絡まっていた。<br />ショルダーバッグが残され、口が開いていた。バッグの中にあった財布の中の現金は473円。<br />未使用のコンドーム28個。<br />名刺入れの中に名刺があり、都内有名企業名○○＜企画部副長 児嶋恵子＞とあった。<br />また、和式水洗便器の洗浄剤水溶液内には使用済みのコンドームがあり、中には精液が残っていた。<br /><br />― 第一発見者 ―<br />発見者は家主から鍵を預かり、アパートの管理を任されていた近くのネパール料理店の店長だった。<br />店長は、前日、101号室の玄関脇の小窓が10センチほど開いたままになっているのに気づき、そこから中を覗くと、仰向けに寝た状態の女の上半身が見えた、<br />ドアは鍵がかかっておらず、開いた。そこには女ものの靴が一足きちんと揃えてあった。<br />店長はネパール人の女性だと思い、ネパール語で声をかけたが、返事がないので、熟睡しているものと思い、その場を立ち去った。<br />だが、次の日、気になってもう一度部屋を覗き、女がまだ同じ格好で寝ているのを見て、もしやと思い、警察に通報した。<br />捜査本部の調べで、死因は絞殺によるもので、死亡推定日時は3月8日夜から9日未明の間とされた。<br /><br />― 被害者 ―<br />恵子は杉並区永福で母親と妹の3人で暮らしていた。<br />恵子は都内にある会社に勤めていたが、毎日午後5時20分の定時に退社していたにも関わらす、帰宅はほとんど深夜だった。<br /><br />調査した結果、恵子は1991年（平成3年）頃から勤務後は渋谷区円山町界隈に出没し、すぐ近くの道玄坂のホテル街で売春したり、<br />なじみの客と待ち合わせをして売春するという毎日を繰り返していたことが判明した。<br />さらに、1996年（平成8年）6月頃から品川区西五反田のSMクラブに在籍し、勤務先が休日である土日や祭日の午後はクラブの事務室で待機し、客をとっていた。<br />そのあとは円山町界隈で深夜まで売春していた。<br /><br />― 高学歴 ―<br />恵子は大学経済学部を卒業すると、この会社に入社した。<br /><br />その後、エリートコースを進み、管理職となった。会社では仕事を完全にこなしていたが、服装は地味で、人付き合いもなく、これといった男性との噂も聞かず、孤立した存在だったという。<br />ちなみに、死別した父親は国立大学出身で、母親も女子大出身、妹も女子大を出ている。<br /><br />― 最初の容疑者、浮上 ―<br />恵子の手帳には十数人の男性の名前、電話番号がメモされていた。<br />殺害があったと推定された8日夜に、一緒に食事をしてホテルへ行った会社員がいることが判明。<br />この会社員と午後7時10分過ぎ、円山町のホテルにチェックイン。午後10時16分にチェック・アウトした。<br />この様子は防犯ビデオの映像で確認されており、その後のこの会社員のアリバイは完全だった。<br /><br />― 第二の容疑者 ―<br />捜査本部の聞き込みにより、8日午後11時25分頃から45分頃の間に、恵子と思われる女性が東南アジア系の男性と円山町のアパート101号室に入るのを目撃したという男の証言を得た。<br />また、午後11時45分ごろ、同じアパートの2階に住む女子高生が階段を降りてきて101号室の前を通りかかったとき、中から女の喘ぐような声がもれてくるのを聞いている。<br />その後、女子高生は9日午前0時半過ぎ、再び自宅を出たが、そのときにはその声は聞こえなくなっていたと証言した。<br /><br />― オーバーステイ（不法残留）で逮捕 ―<br />1997年（平成9年）5月20日、ネパール国籍のM（当時30歳）が逮捕された。<br />Mは事件当時、殺害現場となったアパートの隣のビル401号室にネパール人の仲間4人と一緒に住み、仕事先である千葉市内JR海浜幕張駅近くのインド料理店で働いていた。<br /><br />Mは妻と2人の子どもを国に残し、1994年（平成6年）2月28日に90日間の短期滞在ビザで来日。<br />いくつかのレストランの店員として働き、家族に送金していた。5月29日、ビザ失効。以降は違法なステイオーバーが続くことになる。<br /><br />1996年（平成9年）暮れ、Mは姉が来日するという知らせを受けた。そこで、姉と一緒に暮らしたいと思い、4人の同居人にアパート101号室に移ってほしいと話をもちかけた。<br />翌年1月、Mはアパートの管理をしていたネパール料理店の店長から同室の鍵を借り、4人に室内を見せた。<br />だが、部屋代が高いことなどを理由に借りることを渋った。<br />その後、姉の来日も延期になって、4人が転居する話はなくなっていたが、Mは鍵を店長に返さないままにしていた。これがのちの起訴の根拠のひとつとなる。<br /><br /><br />Mは3月22日、自ら渋谷署に出向いて、オーバーステイの事実を明かした。<br />翌23日、警視庁に逮捕・起訴された。5月20日、東京地裁は、入管難民法（出入国管理及び難民認定法）違反（不法残留）で懲役1年・執行猶予3年の判決を受けた。<br />そしてその日の午後、警視庁により恵子殺害および現金4万円を奪った強盗殺人容疑で逮捕され、6月10日、東京地検に起訴された。<br /><br />― 長い裁判のはじまり ―<br />Mは、取り調べから公判に至るまで一貫して恵子殺害を否認した。<br />また、恵子とは全く面識がないと主張していた。<br />だが、第25回公判で翻し、恵子に路上で誘われて顔見知りになったと証言。第26回公判では、恵子と3回会ってセックスしたことを認めた。<br />Mは勤めから帰る途中、恵子に「セックスしませんか。1回5000円です」と声をかけられた。<br />Mは「ホテル代がない」と言うと、恵子は「どこでも構わない」と言うので、自室へ連れ込んで事に及んだ。<br />このときは同居人2人も恵子の相手をした。このようなことが3度あった。<br /><br />― 検察の主張 ―<br />Mは鍵を管理人に3月6日に返却したと捜査の段階で供述していたが、結局、連日連夜の取り調べで、「3月6日に私が返したというのは嘘でした」という調書を作成された。<br />検察はこの調書を公判に提出し、「事件当日にはMが鍵を持っていた。だからMが犯人だ」というストーリーを主張した。<br /><br />― 恵子の手帳 ―<br />恵子の手帳には次のような記載があった。<br />1996年<br />12月12日＜？外人3人（401）1.1万＞<br />12月16日＜外人（401）0.3万＞<br />1997年<br />1月29日＜？0.5万＞<br />2月28日＜？外人0.2万＞<br /><br />― 精液のDNA鑑定 ―<br />トイレに捨ててあったコンドームの残留精液から検出された血液型はB型で、DNA鑑定を行なった結果、Mのそれと一致した。<br /><br />検察側はコンドームを使って捨てた日を殺害があったとされた3月8日頃とし、恵子の手帳にあった2月28日の＜外人＞はMではないと主張。<br />弁護側はコンドームを使って捨てた日を恵子の手帳にあった2月28日頃と主張した。<br />精子は射精した時から時間の経過とともにその形が崩れていくことが分かっていることから、それが何日経過したものかをT大学医学部講師が鑑定した。<br />精液入りコンドームは事件から10日後の3月19日に発見されている。このコンドーム内の精子が約10日前のものなら検察側が、約20日前のものなら弁護側の主張が正しいということになる。<br /><br />死体発見現場のコンドーム内の精子の形状は頭部のみしかなかった。<br />鑑定用に採取した精子は10日間、放置したものは頭部と尾部が分離したものが約40％であったが、20日間放置したものは約80％が分離していた。<br />この結果からすると、死体発見現場にあったコンドーム内の精子は20日は放置されていたという結論になる。<br />しかし、講師は「自分の実験は清潔な環境でやったからこうなったが、現場のトイレは不潔だろうから、実験で20日かかった分離崩壊が現場のトイレでは10日で起きても不思議はない」という趣旨の意見を述べた。<br /><br />現場から採取された陰毛は全部で16本あった。<br />うち12本はDNA鑑定の結果、恵子とMのものだった。残り4本のうち3本の陰毛は最後まで誰のものか判明しなかった。<br /><br />― Mのアリバイ ―<br />Mの勤務先のインド料理店のタイムカードの記録によれば、恵子が殺害があったとされた8日、Mは午後10時少し過ぎに退店しており、<br />それから電車を乗り継いで渋谷へ行き、さらに徒歩で粕谷ビル近くに着き、<br />午後11時25分ごろに2人でいるところを男に目撃された、とされているが、これが可能かどうかがひとつの争点となった。<br /><br />海浜幕張駅発東京行きの京葉線は午後10時台は7分発、22分発、37分発、52分発の4本。<br />インド料理店と海浜幕張駅は急いで歩いても5分はかかる。Mは午後10時22分発の電車に乗ったと証言した。<br /><br />渋谷署の警察官が実際に歩いて調べたところでは、7分発の電車に乗り、最短距離を歩いてなんとかギリギリ犯行現場に間に合い、22分発では間に合わないという結果を出した。<br />検察側はMが7分発の電車に乗ったと主張し、弁護側は7分発の電車に乗り込むのは無理があり、22分発の電車に乗ったと主張した。<br /><br />― 無罪判決 ―<br />1999年（平成11年）12月17日、東京地裁での求刑公判で、検察側は無期懲役を求刑。<br />4月14日、東京地裁は、Mに対し無罪を言い渡した。<br />裁判長は「被告以外の者が犯行時、アパートにいた可能性が払拭できない上、被告を犯人とすると、矛盾したり、合理的に説明できない事実も存在する」。<br />精子の鑑定結果については、「（T大学医学部講師の実験の）数字等を根拠にする限りは本件精液は10日間以上放置されていた可能性の方が、20日間放置されていた可能性より高いとなどと断定することができない」と述べた。<br />Mは1997年（平成9年）5月に、入管難民法違反で有罪判決を受け、確定していることから、入管当局に収容され、その後、国外退去の手続きに入った。<br /><br />― 控訴審 ―<br />4月18日、東京地検は控訴<br />4月19日、東京地裁は勾留しないことを決定。東京高検は一転して東京高裁へ勾留の要請。<br />4月20日、東京高裁第5特別部は検察側の要請を退け、勾留の職権発動をしない決定を出した。<br />5月8日、東京高裁第4刑事部判事は「犯罪を疑う相当な理由がある」と判断して勾留を決定した。<br />5月15日、弁護側は東京高裁第4刑事部が「犯罪の疑いがある」として職権で勾留したことを不服として東京高裁に異議を申し立てた。<br />6月19日、東京高裁第5刑事部弁護側の勾留決定を取り消すよう求めていた申し立てを棄却。<br />6月23日、弁護側は東京高裁がM被告を職権で勾留したことを不服として、最高裁に特別抗告した。<br />6月27日、最高裁は弁護側の特別抗告を棄却する決定を出した。<br />7月31日、弁護側は東京高裁にMの勾留の取り消しを再度、請求。<br />8月7日、東京高裁は弁護側の勾留取り消し請求を棄却。弁護側は異議申立て。 8月10日、東京高裁は弁護側の異議申し立てを棄却した。<br />8月14日、弁護側は最高裁に特別抗告した。<br />8月18日、私選弁護人5人が辞任。<br />8月23日、控訴審の弁護人の私選国選問題で2人を国選、3人を私選にすることが決まる。<br />8月24日、東京高裁で控訴審初公判。<br />12月22日、東京高裁で判決公判が開かれた。「原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する」<br />裁判長が主文を読み上げ、ネパール語に翻訳され始めたとき、Mは日本語で突然、<br />「神様、やっていない」「神様、助けてください」と裁判長に向かって叫び、<br />傍聴席を振り向いてもう一度、「やってない」と叫んだ。<br />同日、弁護側は上告した。<br /><br />2001年（平成13年）2月下旬、上告審において弁護側は事件と同じ時期の2月下旬に、N大学医学部法医学教室の教授に鑑定を依頼した。<br />それは、本物の便器内の汚水による精子の崩壊を観察するというものであったが、<br />その結果はやはり、10日間の放置では頭部のみになっている精子は約40％で、20日間の放置では80～90％となり、<br />「不潔な水だと崩壊が早い」というT大学医学部講師の意見が正しくないということを証明するものであった。<br /><br />2003年（平成15年）10月１日、弁護側が補充鑑定意見書を最高裁に提出。<br />10月20日、最高裁3小法廷は無期懲役とした2審判決を支持して被告の上告を棄却する決定を出した。<br />10月23日、弁護団は最高裁決定に対し異議を申し立てた。<br />11月4日、最高裁第3小法廷の藤田裁判長は被告人の上告棄却決定に対する異議申し立てを退ける決定をした。これで、無期懲役とした2審・東京高裁判決が確定した。弁護側は冤罪を主張し、再審を求める方針を明らかにした。<br /><br />― 再審開始 ―<br />2005年（平成17年）3月24日、Mが東京高裁に再審を請求した。<br /><br />2011年（平成23年）7月21日、東京高検が被害者、恵子の体から採取された体液のDNA型鑑定を行った結果、殺害現場に残されたMとは別人の体毛と一致したことがこの日、分かった。<br />また、東京高検が警察庁のDNA型データベースに照会した結果、一致する人物がいなかったことも分かった。<br /><br />2012年（平成24年）6月7日、東京高裁はMの再審請求を認め、刑の執行を停止する決定も出した。最大の焦点だった再審請求審での新たなDNA型鑑定結果について小川正持裁判長は「公判で証拠提出されていれば有罪認定できなかったと思われ、無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と評価。「受刑者以外の男が被害女性と性的関係を持った後に殺害した疑いを生じさせている」と指摘し、確定判決を強く疑問視した。<br /><br />6月11日、入管当局がMに対し強制退去命令を出し、まもなくMはネパールに向けて妻（当時42歳）と長女（当時20歳）、次女（18歳）とともに出国。<br /><br />Mは犯人に仕立てられたのか？真犯人の高笑いが聞こえる。<br />]]> 
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-03-09T20:23:40+09:00</published> 
    <updated>2016-03-09T20:23:40+09:00</updated> 
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    <title>世田谷一家殺害事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[犯行のあったその2棟は棟続きだった。<br /><br />2000年12月31日午前10時50分ごろ、隣の棟に住む母親が一家に内線電話をかけても応答がなかった。<br />この家の一家4人全員すでに殺害されていた。<br /><br />殺されていたのは世田谷区のMさん（44歳）、妻（41歳）、長女（8歳）、長男（6歳）の4人。Mさんは外資系の経営コンサルタント会社社員。妻は自宅で学習塾を経営していた。<br /><br />― ひっそりとした立地 ―<br />家は小田急線「成城学園前駅」と京王線「千歳烏山駅」のちょうど中間ほどの上祖師谷。2棟続きとなっており、隣りには妻の母親と姉夫婦が住んでいた。<br />Mさん一家がここに越して来たのは1990年6月。当時はこの住宅地に30軒ほどの家が並んでいたが、公園用地拡張事業による整備が進んだため、他の住民は次々と引っ越していった。<br />Mさん一家も2001年4月までに埼玉県内に引っ越す予定だった。すでにいくつもの住宅が取り壊されていた一帯は夜になるとひっそりとした環境だった。<br />　<br />― 犯行 ―<br />犯人は2000年12月30日夜、Mさん宅のフェンスをのぼり、浴室の高窓から侵入したとみられる。<br />網戸がすぐ下に落ちていたことや、足跡、フェンス近くの木の枝が折れていたことから判明した。<br /><br />侵入した犯人はまず浴室のすぐ隣の子ども部屋に寝ていた長男に布団をかぶせて窒息死させた。<br />1階の書斎で仕事をしていたMさんが物音に気づき、階段あたりで、犯人と鉢合わせしたと見られる。<br />Mさんは階段下で死亡していた。最後に犯人は3階のロフトで寝ていた妻と長女を襲ったらしい。階段の踊り場付近で倒れていた妻はメッタ刺しだった。<br /><br />犯人は手に傷を負い、方々に血痕を残していた。<br />血液型はA型。Mさん一家にA型はいないので、犯人はA型と断定。<br />犯人は自前のハンカチで止血していた。このハンカチはアイロンがかけられていたという。かなり深い傷を負ったとみられる。<br /><br />血のついた包丁2本は2階の台所で見つかった。<br />このうち1本は犯人が持ちこんだもので、刃先が欠けたためMさん宅の包丁も取り出したとみられる。<br /><br />― 犯行の目的？ ―<br />犯人はタンスやクローゼットを荒らしまわり、必死に何かを探した様子がうかがえた。<br />月末で集まっていただろう学習塾の月謝20万相当が紛失していたが、キャッシュカード、貴金属類はなぜか手付かずだった。<br /><br />浴槽には切り刻まれた書類が入れられていた。<br />書類を一枚一枚に目を通して、選別していたようにも見られる。浴槽には現金を抜かれた財布やバッグも投げ込まれ、犯人が止血に使ったとされるタオルもあった。<br />そして2階居間のソファには手帳、運転免許証、カード類が並べられていた。これは口座の暗証番号にもなる生年月日を調べていた可能性が高い。<br /><br />― 犯行現場に11時間も滞在 ―<br />犯人は1階書斎のパソコンでインターネットにつないでいる。<br />接続したのは2回で最初に午前1時18分、2度目は同10時2分。接続履歴から、犯人はMさんの会社のサイトや劇団のページを見ており、メールチェックもしている。<br />劇団のサイトはMさんが元々「お気に入り」に登録していたものだったが、犯人はそこから舞台のチケットを購入しようとしていたこともわかった。<br />犯人はパソコンしながら冷蔵庫から取り出したアイス食べていたとみられ、カップが脇に残されていた。スプーンを使わず、カップを握りつぶすようにして食べていた。<br />こうして犯人は約11時間もこの家にいたことがわかった。<br /><br />― 遺留品 ―<br />ナイロン製の黒いジャンパー、マフラー。ジャンパーのポケットの中からはケヤキの葉と小鳥の糞が検出された。玄関には返り血を浴びて脱ぎ捨てたのであろう犯人のロングTシャツ（Lサイズ）が、<br />なぜか綺麗に折りたたまれていた形で残されていた。そしてMさんのグレーのスウェットを着がえて逃走している。<br /><br />指紋はいくつも発見されたが、過去に犯罪歴のあるものとは一致しなかった。<br />足跡から韓国製スニーカー（28cm）を履いていたことが判明した。この靴は都内でも練馬区のディスカウントショップで売られていたが、<br />28cmのサイズは日本では売られておらず、韓国内のみで流通していたとされる。<br /><br />ヒップバッグからは土砂鉱物約1600個の微物を検出されたている。<br />これは日本には存在しないとされている花こう岩に含まれるモナザイト。このほか、チタン酸バリウムの反射材、金属シリコン、ニッケル、銅などがバッグ内側の底部分に混在していた。<br /><br />― 犯人像 ―<br />2004年11月、警視庁では有力な目撃情報から「包丁の男」と「11時半の男」2人の男のイラストを公開した。<br /><br />包丁の男<br />犯行に使われた柳刃包丁は「関孫六　銀寿」というもので、都内では武蔵野市練馬区、杉並区で2000年に10本ほど売られていた。<br />事件前日の12月29日、吉祥寺で犯行に使われた包丁を1本だけ買った男がいた。この男は年齢30代と見られ、身長約170cm、黒いジャンパーを着ていた。<br /><br />11時半の男<br />事件当日の11:30、車を運転していた主婦がMさん宅の前の路地に飛び出して小走りに道路を横断した男を目撃。<br />身長175cm～180cmくらい、痩せ型、長髪で毛糸の帽子をかぶり黒っぽい服装をしていたという。<br /><br />― 不審者 ―<br />アオキノブオという男<br />00年8月15日、「アオキノブオ」と名乗る男が、電話で埼玉県内の興信所に「Mさん宅とその家族」についての調査依頼をした。<br />しかし、「アオキノブオ」からの銀行振込みはなく、調査は開始されず。同10月26日、「アオキノブオ」が興信所へ2度目の電話。Mさんの現住所および住民票を請求した。<br />翌日、「アオキノブオ」は事務所に現れ、住民票と謝金を交換している。<br />同10月28日、「アオキノブオ」が電話で、Mさんの戸籍謄本を依頼。しかし、その後連絡はなかった。<br /><br />日光の負傷男<br />栃木県日光市の東武日光駅、31日午後5時20分着の電車から降りた男が右手から出血しており、治療を受けた。<br />男の年齢は30歳前後、身長約175cm、黒いダウンジャケットにジーンズ姿。その後の足取りはわかっていない。<br /><br />主婦の見た男<br />事件の前日午後3時ごろ、現場近くの路上で、主婦が遺留品のものと似たデザインのTシャツを着た男とすれちがった。<br />12月にしては薄着だったので覚えていたという。この男もまたヒップバッグと、よく似たタグ付きのシューズをはいていた。<br /><br />― 犯人像の特定 ―<br />2005年7月、警視庁特捜本部は犯人像を外国人ではなく「京王線沿線で生活していた若者」に絞り込んだことを発表した。<br />インターネットサイトや書類など漢字を読みわけている能力があることを確認したからだと思われる。<br /><br />その後、同捜査本部は犯人の血液を詳しくDNA鑑定の結果から、「父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた」とする可能性が強まったとした。<br /><br />2005年11月、捜査本部は、怨恨ではなく、金目当てによる犯行と断定し、「当時一人暮らしで、金に困っていた18歳から35歳の男」と絞り込む。<br /><br />2006年12月、Mさん宅に届いた2000年の年賀状を、犯人が持ち去った可能性が高いことが発表された。<br />2000年のものは一枚もなかった。これは犯人とMさん宅のつながりを示すものを抹消しようとしたからだろうか。<br /><br />残忍さに加え、大胆で、周到。背筋の凍る事件である。<br />]]> 
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            <name>恐怖の殺人の真実</name>
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    <published>2016-02-25T20:37:02+09:00</published> 
    <updated>2016-02-25T20:37:02+09:00</updated> 
    <category term="事件" label="事件" />
    <title>広島一家失踪事件</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[広島県世羅。同町に住むYさん一家がペットの犬とともに忽然と姿を消した。<br />2001年（平成11年）6月4日。この日はYさんの妻J子さんの会社の中国社員旅行の出発日だった。<br />集合時間になっても現れないため迎えにいった同僚が、Yさん宅の異変に気づいた。<br />広島県警甲山署は機動隊やヘリコプターを動員し、付近の捜索を開始した。<br /><br />― なにもかも不自然 ―<br />玄関の鍵は締まっていたが、勝手口の鍵は開いていた。J子さんの旅行代金や定期預金通帳も手つかずで残っていた。<br />J子さんや長女の携帯電話や免許証は残されていた。玄関からは4人分のサンダルが無くなっていたが靴はそのまま。<br />J子さんが旅行に持っていくと想像される鞄が準備されていた。<br />また電気はつけっぱなしで、翌朝の朝食が虫除けネットをかけた状態で準備してあった。Yさんの車はなかった。<br /><br />パジャマが見当たらず普段着が畳んであったことから、サンダル履きのパジャマ姿でほとんど何も持たず家を出たことになる。蒸発するにしてはあまりにも不自然な格好である。<br /><br />― 争った形跡なし ―<br />争った形跡がない。近所の人も争う物音を聞いていない。<br />もし拉致ならば、犯人が鳴き声など厄介が多い犬をわざわざ連れ出すことは考えにくい。Yさん一家には特にトラブルもなく、恨みをかうような人ではないと多くの者が証言している。<br />金銭的に困っていたという事実もない。妻のJ子さんは旅行を楽しみにしていたし、長女は職場のアイドル的存在でトラブルの噂もない。<br />彼女には将来を約束した男性がいて、幸せの絶頂であり、失踪する理由はない。なにもかも不合理で、不自然だった。<br /><br />― 不審な音 ―<br />近所の人は午後10時50分頃に「バタン」という車のドアが閉まる音を聞いた。<br />それは帰宅した長女が車から降りた音なのか、Yさんの車に乗る音なのかは不明。翌朝午前4時に新聞配達員が訪れた時にはYさんの車もなかったという。<br /><br />― 神隠し？ ―<br />地元では近くの山で起きた神隠しになぞらえ、この事件を語る者もいた。<br />それは江戸時代、お夏という女中が突然姿を消し、いくら捜しても見つからなかったという伝説があるのだ。山には「お夏の墓」があり、そしてその山は、Y家が以前所有していたというのである。<br /><br />― 意外な展開 ―<br />失踪から1年程が経過した、2002年9月7日。ダムの湖底に車が裏返しで湖底に落ちているのが発見された。<br />夏の雨不足によって水位が減少したことが車の発見に繋がった。<br /><br />車のナンバーからYさん所有の車と判明。車内から4人と愛犬の遺体が見つかった。<br />甲山署は一家の無理心中と判断した。遺体に目立った外傷がなかったこと、車のキーがささったままだったこと、転落したと思われる場所の入り口には車止めがあり、誤って進入する場所ではないことが判断の根拠になった。<br /><br />それ以降、関係者への事情聴取から納得いく動機が判明したという。ではそれは何だったのか？<br />その動機はいまだ公にされていない。<br />]]> 
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