―児童養護施設―
児童養護施設とは、両親の死亡や行方不明、家庭での虐待など、事情があって家庭で生活できない子供が暮らす駆け込み寺と言ってもよいだろう。
両親が逮捕されたため、少年Aくんが和歌山県の斡旋で、社会福祉法人の児童養護施設「B学園」に入園し、生活することになった。
B学園では、両親と生活を共にできない子供たち60人あまりが生活していた。下は3歳くらいの幼児から、上は高校3年生まで。Aくんや彼の兄弟もその中にいた。
Aくんが初めて『おぞましい』行為に遭遇したのは、2003年2月の寒い夜、中学3年生のときだった。和室6畳二間ほどのスペースに、子供8人が就寝していたが、Aくんが寝ていたのは、入り口から一番奥だった。
その日、消灯時間が過ぎてみんなが寝静まった後に、Aくんは新しく手に入れたCDプレーヤーで音楽を聴いていた。そこに、B学園の女性教師であるK(当時26歳)が入ってきた。
Kは短大を出て、保育士の資格をとり、地元の別の幼稚園に勤めたがなぜか1年で退職している。2002年1月から臨時職員としてB学園に赴任していた。身長160センチ超と大柄で太め。下半身がどっしりしたタイプの女だった。
初めは、少年の隣に寝ている幼児に添い寝していた。それから、「コンポ買ったん?」「どんな歌聴くの」とAくんに話しかけている。
すると、何かの衝動にかられるように急に抱きついてきた。
―メス豚が男を喰う―
突然のことに、Aくんはびっくりして体が固まったと、事件後の取り調べの際に振り返って語っている。
その後、女の行為はエスカレートし、キスを強要し布団に潜り込むと、まだ十分に成長していない陰茎を口に含みしゃぶり始める。最後はセックスまで強要する。行為が終わると、何回も「絶対に言うたらあかんで」と念を押した。
Aくんは、それまで女性との経験がなかった。初めての体験は、好きな彼女とするという淡い思いを抱いていたAくんだが、あっさりと破られてしまった。
その後もKは、泊まり勤務になると、深夜子供たちが寝静まったのを見計らってAくんの布団に入ってきた。いつも慣れた手つきでAくんの服を脱がし、中学生のAくんの体をむさぼった。
KはAくんへ、連日のように手紙を送るようになった。その手紙は、今もAくんの手元に何通か残っている。
『昨日は大きな声をあげてごめんね。』
『すごく燃えたわ。』
『禁断の恋だね。』
など、前夜の行為について綴っている。
そして、どの手紙にも最後には『誰にも言わないで。』と念押しの一言が書かれていた。
そのまま陵辱は続いた。
―アメとムチ―
施設内でも噂が広まった。
高校1年の秋には
「AくんとK先生、変や」
「K先生、女に厳しく、やたら男に優しい」
などと囁かれるようになる。
また行為の最中に別の先生が入ってきたり、Kの声で近くで寝ている生徒が起きてしまいバレそうになったことも何度かあった。
このような状況でも拒絶できない事情があった。B学園には弱い立場の子供が集まっている。
KはAくんの両親が犯罪に関与していたことを持ち出し、「あんたのとこのお父さんやお母さんのこと、よーく知ってるで。」 「行くとこ、ないでしょ。」と遠まわしに脅した。
Aくんの両親だけでなく、親族も経済的な理由などでAくんを養うことができなかった。B学園を追い出されると、ほかに行き先はなく途方に暮れると思ったAくんに、Kを拒むことなどできなかった。
またKは「私の力でもっときつい学校に入れることもできるんよ。」と話した。B学園よりもっと厳しい生活を強いられると言われている施設があり、その恐怖はAくんにのしかかった。
その一方で、KはAくんの機嫌を取るため、CDやお菓子、たばこまで買い与えるようになっていた。プリペイド式携帯電話のカードをAくんに渡し、多いときは1日30回以上、メールや電話をしてきた。
やがて、Aくんの通う高校と児童養護施設の中間にマンションを借り、彼の下校を待って車でラブホテルに連れて行ったり、自宅マンションに連れ込みアダルトビデオを見せたりもした。
さらにKはAくんばかりか他にも4人の少年達と関係を持っていた。Aくんに対する性的関係の強要は50回以上に及んだ。
―姉への告白―
2005年、Aくんが高校3年生になる直前の春休みに、独立して生活し始めた姉の元を訪ね、Kから受け取った多数の手紙を見せ、Kの強姦を打ち明けた。
激怒した姉は、B学園に駆け込み、園長らに猛烈に抗議をする。
Kは「知りません」と最初は否定したが、園長が「この手紙は」とKの目の前にAくんへ送られた手紙を出すと「すいません、やりました。」とアッサリ認めた。
しかしKは、双方が愛し合っていたのだと主張し、Aくんは強制的だったと反論する。
男子に対する姦淫行為では強制わいせつ罪には問われるものの、強姦罪には問われない。法律の条文上、強姦罪は女子に対する姦淫行為が対象とされているからである。
2005年4月と12月の計2回、和歌山県は事件の報告を受け、児童福祉法に基づき施設を監査および指導をしている。施設では当時の園長と理事長が責任を取り2006年に辞職した。
2005年6月17日付、問題となったKは、和歌山県から保育士資格を2年間停止された。
児童養護施設側は、一番の問題は施設だが、県にも責任があると主張している。未だに責任問題についてははっきりしていない。