1991年(平成3年)7月11日、『悪魔の詩』の日本語翻訳者であり、大学助教授のI氏(44歳)が大学構内で何者かによって「処刑」された。
イギリスでは著者のインド系イギリス人作家のS・R氏(当時41歳)の首に懸賞金がかけられた。
S・R氏を「処刑」した者が外国人なら100万ドル(当時で約1億2,500万円)、イラン人の場合は2億リアル(約3億6,000万円)とした。
暗殺の危機に、S・R氏の身柄はイギリス警察の保護下におかれた。
―発端―
1989年(平成元年)2月14日、イランの最高指導者は、イギリスで出版された小説『悪魔の詩(うた)』がイスラム教の預言者マホメットの私生活をスキャンダラスに描くなど、
冒涜したとして、著者のインド系イギリス人作家と発行人には処刑が宣告されねばならないとの声明を発表。世界のイスラム教徒に著者と発行人の処刑を呼びかけた。
―悪魔の詩とは?―
『悪魔の詩』のタイトルはイスラム教の聖典『コーラン』を指すとされている。
この小説には、マホメットの12人の妻を連想させる12人の売春婦が登場したり、「マハウンド」というイスラム教の軽蔑の対象であるイヌを連想させる名前の預言者が登場するなど、
イスラム教を揶揄する表現がちりばめられているという。これがイランの最高指導者の怒りを買うことになった。
―コロンビア大 中東研究所の見解―
「この本には、イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の妻の名前を持つ売春婦が出てくる。これはイスラム教徒にとっては明らかな侮辱であり、攻撃的な本と言わざるを得ない。
一方で、S・R氏は死に値するとした宗教指導者たちや、本の発売を自粛した書店なども非難されるべきである」
―大学 中東研究所の見解―
「なぜ英国市民に死刑を宣告するのかという点に答えるには、まずイスラム法の『属人主義』を見なくてはならない。
それによれば法は領土によらず人に適用されるので、イスラム教徒である限りはどこにいても拘束を受ける。
現在は英国籍を持っていても、ボンベイ生まれのイスラム教徒であるS・R氏の場合、外国人ではなく、元来イスラム法の規制を受ける内部の者と見なされるのである。
もちろん西洋近代法は属地主義であるから、英国内では英国の法律だけが拘束性を持つのが当然であるが、ことはそう単純ではない」
―撤回されない処刑宣告―
1989年6月3日、当のイランの最高指導者は首都テヘランの自宅で心臓発作のため死去したが、「処刑宣告」は撤回されることはなかった。
1993年(平成5年)1月末、イラン大統領は記者会見で「死刑宣告のファトワ(イスラム法解釈)は宗教上の命令であって、発令した本人しか変えることはできない」と発言。
最高指導者がファトワ発令の4ヵ月後に死去していることから、死刑宣告は撤回できないことを改めて表明した。
新・最高指導者も、ファトワの正当性を主張するとともに、S・R氏の引き渡しをイギリスに求めた。
―トルコ事件―
この頃、イスラム教国のトルコでは、小説『悪魔の詩』の発売を禁止していたが、同国著作家協会の元会長のアジズ・ネシンらが中心になって出版案を公表した。
しかし、トルコで行われたトルコ語翻訳者の集会が襲撃を受け、37人の死亡者が出た。
―イギリスの反撃―
国連人権委員会で、イギリス外相は「S・R氏に対する死刑宣告は人権問題と訴え、イギリス政府として、今後は強い態度で臨む意欲を内外に示した。
S・R氏自身も西側マスコミと相次いで会見し、「国際社会の対イラン圧力が死刑宣告撤回に不可欠」と各国政府に協力を訴えた。
日本のI助教授は処刑され、S・R氏は今でも作家として活動を続けている。イギリスのように日本も主張していたら避けられた事件だったのかもしれない。
2006年(平成18年)7月11日、I助教授殺害事件から15年が経ち、時効が成立した。