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恐怖の殺人の真実

バス学校爆破事件

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バス学校爆破事件

1927年5月18日、アメリカ合衆国ミシガン州バス(地名)で発生した爆弾事件。 45人が死亡、58人が負傷し、犠牲者のほとんどが爆破されたバス統合学校の生徒達(7歳~12歳)であった。

犯人は当地の教育委員会の委員であったアンドリュー・フィリップ・キーホー。 キーホーは学校の校舎建設のために新たに課された財産税に腹を立てており、自分の経済状況の厳しさを理由にこの増税に対する不服を申し立てていたが、所有する農場が強制執行の対象となった。 この件がキーホーの犯行の動機となり、多くの子供達が死傷する悲しい事件に繋がった。

キーホーは事件に先立ち、その後の犯行をほのめかすような発言をしている。 例えば、事件の数週間前に使用人に給与を支払った時には、「きみ、この給料は大切にしろよ。なぜならこれはきみが受け取る最後の給料かもしれないからね。」と述べている。 また、教師の1人がキーホーに電話で、自分の学級のピクニックのために手袋を貸してもらえないか尋ねた際には「ピクニックに行きたいのなら、すぐに行った方がいい。」とも発言している。

事件前日、キーホーは古くなった道具や、釘、さびた農業用機械、シャベルなどの金属製品をはじめ、爆発の際に飛び散って被害を与えることができるあらゆるものを自動車の後部座席に目一杯詰め込んだ。 後部座席が一杯になると、キーホーは大量のダイナマイトと装填されたライフル銃を前部座席に積み込んだ。

キーホーの妻が入院していた病院の記録によれば、彼女は事件2日前の5月16日にこの病院を退院している。 退院後から事件までの間のいずれかの日に、キーホーは妻の頭部を鈍器(正確に何であるかは不明)で殴打して殺害した。後に彼女の遺体は、農場の鶏小屋の後ろに置かれた手押し車に乗せられているのを発見された。 その手押し車の周りには銀製品や宝石類、金属製の金庫が積み上げられていた。金属製の金庫の隙間からは、焼けた紙幣の灰も見えていたという。 キーホーは農場中に導線を張り巡らせ、全ての建物内に自家製のパイロトール爆弾を仕掛けていた。 農場の動物達はすべて、囲いに縛り付けられていた。爆発後の火災により動物達が確実に焼け死ぬことを意図していたのである。

― 起動する爆弾、連続する爆発 ―
1回目の爆発は午前8時45分頃に起きた。キーホーは農場内の爆弾を爆発させた。周辺の住民が火災に気付き、地域中のボランティアの消防団員がキーホー宅へ急行した。 その瞬間2回目の爆発が起きた。第1の爆発から1時間後の午前9時45分、爆破音が学校から聴こえたのだ。 キーホー宅に向かっていた救助員達は引き帰し、学校に向かうことになった。また、生徒の両親達も学校に向かいはじめた。

学校は壊滅的な状態だった。 最初の衝撃の後、爆風で埃がたち、多くの生徒や教師は目が見えなくなった。その間、空中に机や本が舞い上がり、その中には生徒もいた。 校舎の北側部分が崩壊し、校舎の外壁の多くは崩れ落ちた。屋根の先端は地面に落下した。 5、6人の生徒は崩れ落ちた屋根の下敷きになっていて、瓦礫につぶされていた。埃や瓦礫、血に覆われていて誰が誰だか見分けが付けられなかった。

学校での爆発からおよそ30分後に、キーホーは自動車で学校の様子を伺いにきた。そして校長を見つける。 キーホーは校長を自分の自動車へ呼び寄せた。目撃者の証言によると、校長がキーホーの自動車に近付いた時に、キーホーはライフルを取り出して後部座席に発砲したという。 その発砲によってか、あるいは別の理由によってかは不明だが、その時に車内のダイナマイトが爆発した。 この爆発によりキーホー、校長が死亡したほか、巻き添えで地元の郵便局長、そして郵便局長の義父で引退した元農場経営者も死亡した。 第2学年の8歳の少年は、崩壊した学校から抜け出したところを、この爆発により飛んできた金属片が当たって死亡した。他にも数人がこの時の爆発により負傷している。 これにより、この壮絶たる爆弾事件は終焉を迎えた。

キーホーの自動車が爆発した時のことを、キーホーの隣人の男性は次のように述べている。 「1人の母親が、学校からすぐ近くの土手の上に座っているのが見えてたね。両脇には彼女の2人の娘の遺体が横たわっていて、もう1人息子を抱きかかえていたんだ。結局、男の子は病院に運ばれて直ぐに死んじゃったけど。ちょうどその頃が通りでキーホーの車が爆発した時で、その爆発に巻き込まれて男の子はひどい怪我を負ったんだ」

ある路面作業員の親方は、最後の爆発の時のことを次のように回想している。 「もう世界が終わっちまうんじゃないかと思ってた。ちょっと意識も朦朧としていたみたいだし。兎にも角にも、気がつくと既に通りに出ていたんだ。俺の部下の1人が郵便局長の傷を縛ってたんだが、既に局長は脚を吹き飛ばされていたんだよね。で、俺は校舎に戻ってダイナマイトの捜索で中止命令が出るまで救助隊を手伝ってた」

― 深き傷跡 ―
何百人もの人々が一日中、瓦礫の下敷きになっている子供達を救出するために働いた。 地元の建設業者は社員を全員救援活動に参加させたほか、多くの一般の人々が、現場で救助を求める人達に手を差し伸べた。 やがて、34人の消防士とランシング消防署の署長が救援に到着し、ミシガン州警察の警察官達が周辺の交通整理に当たった。 死者や負傷者はランシングのスパロウ・ヘルス・システム病院とセント・ローレンス病院に移送された。 ミシガン州知事も午後には現場に到着、救援活動に参加して瓦礫を学校敷地から運び出す作業に当たった。

爆発により校舎の北側部分が破壊されたが、さらに救助隊は校舎の南側からキーホーが仕掛けていた、まだ爆発していない約230kgのダイナマイトを発見した。 このため救援活動が中断され、ミシガン州警察がこれらの爆発物の無力化を行った。爆発物の処理が終わり、校舎内から爆発物が一掃された後に復旧活動が行われた。


学校の床下から発見された大量の爆薬
校舎南側からは州警察によりさらに、目覚まし時計に接続された爆発物が、まだ爆発していない状態で発見された。 時計は北側で爆発があったのと同じ時刻、午前9時45分にセットされていた。これらの爆発物がなぜ爆発しなかったのかを断定する事は、もはや不可能である。 捜査員達は、最初の爆発によりこれらの爆発物の電気経路にショートが生じたためではないかと推測している。

警察官、消防署員は、キーホーの自宅にも火災の調査のために訪れた。 キーホーの農場の焼け跡から、焼け焦げた遺体が発見されたが、それがキーホーの妻であると判明したのは、翌5月19日になってからであった。 遺体は激しく損傷しており、前日にもそばを人々が通りがかったが、遺体に気付いた者は誰もいなかった程である。

キーホーの農場内の建物は全て破壊され、納屋に閉じ込められていた農場の動物は全滅した。 皮肉なことに、農場内に残っていた未使用の設備、道具類の総額は、キーホーの負債を補うには充分であることが分かった。 また、捜査員達は、キーホーの最期のメッセージが記された木板が、農場の柵に括りつけられているのを発見した。メッセージはステンシル(型板)を使って次のように刷られていた。

「人は周りから犯罪者にされるのであって、生まれながらの犯罪者はいない」

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