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恐怖の殺人の真実

熊本母娘殺人事件

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熊本母娘殺人事件

以下の登場人物は仮名とする

―全裸惨殺―
1985年7月、熊本市の青木さんの自宅で、2人暮らしの青木さんと養女の洋子(当時22歳)さんが血まみれの惨殺死体となって転がっているのが発見された。捜査員が到着した時、母子とも全裸で、青木さんは41箇所、洋子さんは35箇所、腹や胸など全身を滅多刺しにされていた。

事件から5日後、宮田が容疑者として逮捕される。宮田は、取り調べに対し犯行を認め、平然と当時の状況について話している。

宮田は深夜、青木さん宅へ侵入し、2人が抵抗するのもかまわず滅多刺しにした。虫の息の洋子さんが息絶えるのを冷静に眺め、「これだけじゃ気がおさまらん」と思い、裸にして吊るしてやろうと衣服を脱がせる。しかし足元は血でべっとりと濡れ、ぬるぬる滑ってうまくいかない。吊るすのは諦めて宮田は自分の服に付いた返り血を洗い、現金を奪って立ち去った。

「簡単でした。そう血が噴き出たわけでもなく、大きな白い豆腐に包丁を刺しては抜き、刺しては抜き、ちゅう感じでした。」

「反省はしていないし、反省するくらいならこんな事件は起こしません。それより、2人殺したくらいではまだまだ足りない、それが正直な気持ちです」と自供している。

恨みによる犯行は明らかだが、なにが宮田を残虐な殺人へと追い立てたのだろう。

宮田は、青木さんの元・義理の甥にあたる。だが遠縁であり付き合いはまったくなく、青木さんは宮田と会ったこともなければ、名前も知らなかった。

―恨みの子生い立ち―
だがこの凶行は宮田にとっては「当然の報い」だった。

宮田は1930年に熊本の漁師町で生まれる。海の男が多く荒っぽい土地柄だったのか、彼が2歳のとき、父親は喧嘩相手に刺されて死んでいる。母はその後、子供を捨てて再婚した。

宮田と兄は親戚に預けられたが、虐待を受けるようなことはなく可愛がられた。兄はこの家庭でまっすぐ育ったが、宮田は、小学校高等科1年のときに学校を中退し、15歳のとき傷害で逮捕された。

20歳を過ぎると職を転々とし、全国を放浪しながら傷害事件を起こしては、刑務所と娑婆を往復する日々であった。前科は7犯を数えた。

しかし見合いして結婚することで、多少落ち着くことになる。宮田は見合いの席で大酒飲みの本性を隠し「下戸で酒は一滴も飲めません」とウソをつく。

1959年、彼を信用した女性の両親は香織さんとの結婚を許し、新居まで建ててやった。結婚して2児が生まれたが、宮田は次第に本性を現し始める。

仕事に行かず昼間から一升ビンを抱え、妻の着物を片っ端から質屋に入れ、その金で遊び歩く放蕩三昧である。

香織さんは日常的に暴力もふるわれた。バケツの水を浴びせられ、殴られ蹴られ、煙草の火を体中に押しつけられた。香織さんは子供のために辛抱していたが、真冬の夜中に酔った宮田に2歳の長男を抱いたまま小川に放り込まれ、這い上がろうとするところを足で踏みつけられた。

1962年、このままではいつか子供も自分も殺されると恐怖を抱いた香織さんは、離婚を決意して家を出る。離婚の話し合いは仲人の家で行なわれ、「仕事もしないで、暴力をふるう」となじられた宮田は「なら金を取ってきてやる」と飛び出していった。

しかし彼は金を工面しに行ったわけではなく、切り出しナイフを金物屋で買ったのである。

いつまでたっても宮田が戻ってこないので、香織さんと母親が仲人の家を出て、帰るためバス停に向かうと宮田が待ち伏せていた。

宮田は香織さんに「戻ってこい」と言うが、彼女は首を横に振るばかりだった。業を煮やした宮田は、いきなりナイフで香織さんに切りつけた。駆け寄る彼女の母もかまわず刺した。

ナイフは香織さんの肺と横隔膜を切り裂き、老母の内臓を貫通した。香織さんは一命をとりとめたものの、母親は死亡してしまう。

―復讐への執着―
宮田は無期懲役となった。しかし獄中の宮田によぎる念は「復讐」のみであった。

「香織の母を殺したのは、おれを一方的に悪者にして香織と別れさせようとしたからだ。出所したら、刑務所でつらかった分まで仕返ししてやる」宮田はこの恨みをよりどころに刑務所で過ごした。

1976年、宮田は、14年で仮出所となった。出所後、宮田は幼いころ彼らを育ててくれた親戚の家に身を寄せた。しかし改心の様子もなく、叔母が注意すると、宮田は包丁を持って叔母夫婦を追いまわした。

たまらず実兄が警察に通報し、宮田は現行犯逮捕で仮出所を取り消され、刑務所に逆戻りする。しかし獄中に戻った宮田によぎる念は「恨み」のみであった。今度は少し暴れたくらいで警察に届け出た叔父夫婦と、実の兄を憎んだ。

ここまで自分を追い込んだ、香織や親族への怒りと恨みが積り、復讐に生きることを決心する。

偏執気質と重度の人格異常であった宮田を刑務所はふたたび仮出所させている。

1984年2月、2度目の仮出所。宮田は54歳になっていた。身元引受人はないため、保護観察施設で暮らすことになる。

彼が練った復讐計画のターゲットは、元妻の香織、仲人夫婦、香織を再婚させた仲人の弟、香織の叔母、叔父夫婦、実兄そして自分を無期懲役にした裁判官という逆恨みの対象は野放図に広がっていく。最終的にターゲットは30人以上にものぼった。

宮田は香織さんの居所を知るため、彼女の親戚宅を聞いてまわった。しかし香織さんは宮田の「お礼参り」を恐れていたので、誰にも住居を知らせていなかった。

なかなか香織さんの居場所はつかめず、金も底をついた宮田は自暴自棄になる。もう香織の居場所はどうでもいい。裏切ったやつらを全員殺す。一応居場所は聞くが、いずれでも殺す。

次々殺して金を奪い逃げる金にすればいいと思い、刃渡り20c宮田の刺身包丁を買って、仲人の家に向かった。しかし門前で近所の犬に吠えたてられ、あえなく退散する。

そして殺された青木さん宅へ足を向けたのだ。

―復讐の裁き―
1986年8月5日、熊本地方裁判所は被告に殺人の前科があることと今度の残虐な犯行から、死刑を宣告。

1987年6月22日、福岡高等裁判所も死刑判決を支持して控訴を棄却。

1992年9月24日、最高裁判所第1小法廷も死刑判決を支持。上告棄却となり、死刑が確定する。

1999年9月10日、福岡拘置所で宮田の死刑は執行された。

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