1968年8月21日、フィレンツェ郊外の墓地付近で停車中の車から男女の射殺死体が発見された。
しかしこれはプロローグにすぎなかった。
―連続殺人事件―
1974年9月14日
フィレンツェ郊外の葡萄畑付近で停車中の車から男女の射殺死体が発見された。
被害者はふたりとも裸で、女性には96ヵ所も刺し傷があった。性器には葡萄の茎が押し込まれていた。
1981年6月6日
3組目の犠牲者が出た。やはり車内で射殺され、女はめった刺しにされた上に性器を切り取られている。
同年10月22日
バルトリーネ付近で車内から男女の射殺死体が発見された。この時点で警察はようやく連続殺人ではないかと気づき始めた。4件全てが同じ22口径のベレッタから発射されたものだった。
1982年6月19日
同じベレッタによる犠牲者がもう1組増えた。
1983年9月9日
ゲイのカップルが射殺された。
1984年7月29日
またも男女が犠牲になった。
1985年9月8日
犯人は女性を射殺し、切り取った性器を検事に送りつけた。
しかしこれ以降、主にカップルが狙われ8組16名が殺害された犯行はなぜかぷっつりと途絶えた。
―容疑者死亡―
警察はP・Bという69歳の農夫を逮捕した。
しかし彼は一貫して無罪を主張し、係争中の1998年2月に心臓発作で死亡した。
またしても真相は闇の中へ。2011年現在も未解決のままだ。
事件を迷宮に導いたのは、警察の初動捜査のミスといわれている。連続殺人事件であることに気づくのが遅すぎたからという。
こうした経緯を参考にして執筆されたのがT・ハリスの『ハンニバル』である。