1993年12月14日、東京都日野市に住む会社員男性は、出社するために妻が運転する自動車で鉄道の最寄駅に向かった。それはいつもと変わらぬ平穏な日常だった。会社員男性も妻もこの後、凄惨な事件が自分達を襲うなど想像もしていなかった。
会社員男性はこの年、職場の部下の女性A(当時27歳)との不倫を清算した。
そして女性Aはこの夫妻を恨み、何の罪もない二人の子供の命を奪うことになる。
― 殺人 ―
会社員男性と妻が車で外出したタイミングを見計らい、女性Aは会社員の家に現れた。
不在を確認した後、保有していた玄関ドアの鍵を使用して会社員男性の自宅に侵入し、自宅室内で就寝中だった会社員の長女(当時6歳)、長男(当時1歳)にガソリンを散布して放火し、幼児2人を殺害。会社員の自宅を全焼させた。
― 狂気に満ちた女の怨念 ―
事件発生後、警察は犯人を女性Aに絞りながらも、有罪判決を獲得するために必要で十分な証拠を集積できず、Aの逮捕に踏み切れない状況だった。 しかし女性Aは父親に説得され、警察の捜査が身辺に迫ったことを察知して、翌年の2月6日午後、ようやく警察に出頭し自首した。 女性Aは罪のない子供2人を惨殺したにもかかわらず、事件発生から自首前日まで、いつも通り出勤していた。
そして犯行への動機が公になった…
女性Aは大学を卒業後、東京都港区に本社がある電機メーカーに就職し、府中市にある事業所のシステム開発部門に配属された。
会社員男性は女性Aの配属先の直属の上司であり、配属されてから間もなくお互いに恋愛感情を持つようになった。
しかし会社員男性は妻子がいる男性であり、女性Aは独身女性だったが、性関係を持ち不倫関係になった。
女性Aと会社員男性の不倫関係・性関係が継続する状況で、会社員男性の妻は妊娠。
妻の妊娠を知った女性Aは、肉体関係だけの自分に比べ、妊娠している妻に激しく嫉妬して、自ら避妊を拒否しはじめた。
やがて同年4月に女性Aも妊娠発覚。
女性Aが会社員男性に妊娠を告げると、会社員男性は「いずれ妻とは離婚してAと結婚するつもりだ」と伝えた。
それは会社員男性の浅はかな嘘だった。
会社員男性はすぐに「まだ離婚が成立していないので中絶をしてくれ」と要求し、女性Aは受け入れて中絶した。
会社員男性の妻は臨月になり、出産のために両親の自宅に滞在した。その際に女性Aと会社員男性は会社員男性の自宅で同棲生活をしていた。
会社員男性は妻が第二子を出産した後も、女性Aに対して「来年になったら妻と離婚して結婚する」と伝えた。もちろんこれも嘘で離婚をする気など初めからなかった。
その後、女性Aは2回目の妊娠をしたが、自分の意思で中絶した。
女性Aは、自分を性の道具でしか見てなく、結婚の意志がない会社員男性に失望と恨みを募らせていた。しかし不倫の関係は清算できなかった。
1993年5月18日、不倫関係が会社員男性の妻に発覚。
妻は会社員男性を激しく非難し、「慰謝料を支払って離婚するか」「女性Aとの関係を解消するか」どちらかの選択を要求した。
会社員男性は妻の要求に対して「不倫関係を解消し、妻との夫婦関係を修復して継続する」と表明した。
会社員男性の妻はそのことを女性Aに伝え、そして女性Aを激しく非難し罵った。女性Aは謝罪をしたが、妻の抗議はその後も続いた。
女性Aは精神が不安定な状態に陥った。そして夫婦に対する恨みは強まり、狂気に走らせることになる。
「男性会社員の子を産み育てている妻と、子を妊娠しながらも降ろしている自分」
女性Aは中絶したことに対する自責の感情を夫妻と子供2人に対する憎悪の感情に転化していった。
そして女性Aは子供を失う感情をこの夫妻にも体験させてやるという報復感情に支配されていた。
そして何の罪もない幼い子供達を生きたまま焼き殺すという、おぞましい行為がおこなわれたのだ。
事件後、女性Aの弁護士は情状酌量による減刑を主張した。しかし2001年7月17日、女性Aの無期懲役刑が確定した。