カイエタノ・ゴディーノ(1912年)
今から100年以上も昔、その恐ろしき小さな殺人鬼、カイエタノ・ゴディーノがブエノスアイレスで誕生した。
1896年10月31日、カラブリアからの移民である両親から生まれたカイエタノ・ゴディーノは、男ばかりの8人兄弟だったという。
父親はアルコール中毒の暴れ者で、子供たちにもひどい虐待を行った。おまけに梅毒を患っていたために、カイエタノは先天性梅毒をもって生まれ、腸炎を起こして生死の間をさまよった。
無事に生き延びたものの、次に待っていたのは父親からの虐待。頭がおかしくなるような家庭で育ったカイエタノは、いつしか小動物への虐待が唯一の気晴らしとなっていった。
― 最初の犯罪 ―
1904年9月28日、たった7歳のカイエタノによる、最初の犯罪が起きる。2歳の幼児を殴り倒し、排水溝に突き落としたのだ。巡査に見咎められて、逮捕されたカイエタノだったが、まだ7歳であるがゆえに、厳重注意のもと数時間後には親元に引き渡されてしまった。カイエタノの残虐性はとどまる事を知らなかった。
最初の事件から1年後、カイエタノは再び2歳の幼女を虐待し逮捕された。なんと石で幼女を殴ったという。このときもカイエタノの年齢が考慮され、数時間後には釈放されてしまったのだ。
― 最初の殺人 ―
異常なほどの残虐性をもっていたカイエタノが、人を殺さないわけがない。
彼の最初の殺人は1906年3月、わずか9歳の時だったという。2歳の幼女の首を締め、生き埋めにしたというのだ。この事件は公にはなっておらず、彼が後に自供したところの話だが、おそらく作り話ではないだろう。現在、彼が埋めたという場所にはビルが建っており、確認はできず100年という時が過ぎてしまった。
― 10代になったカイエタノ ―
10代になったカイエタノの残虐性は、さらに度を増すものとなった。生きているものを虐待せずにはいられなかったのだろう。近所の犬や猫を手当たり次第に殺しまくった。どんなに最悪な両親でも、こんなカイエタノの異常性に黙ってはいなかった。
アルコール中毒の父親でも、彼の行う虐待をみかねて警察に突き出した。そして、カイエタノは2ケ月ほど鑑別所に収容されることとなる。 だが、出所後もカイエタノの残虐性は治まるはずもなく、さらにエスカレートしていくこととなる。
1908年9月9日、またもや2歳の幼児をプールで溺れさせようとし、6日後の9月15日には2歳の幼児の瞼を煙草の火で焼こうとした。更正されることのないカイエタノに呆れ果てた父親は、再び彼を警察に突き出した。そして、カイエタノは鑑別所で3年の年月を過ごすこととなる。
― 出所後の凶悪犯罪 ―
さて、カイエタノは鑑別所で更正したのだろうか。
皆さんも察しのとおり、更正するはずがないのだ。その後の彼の犯罪歴を見れば、彼がいかに恐ろしい少年だったかがわかるだろう。
1912年1月17日、近所の倉庫に放火して大火事を起こし、8日後には13歳の少年を殴り殺した。彼の遺体は翌日に廃屋で発見された。その約2週間後には、5歳の少女のドレスに火を放ち、彼女は全身に火傷を負い、数日後に死亡した。
11月8日、カイエタノは8歳の少年の首を絞めたことで逮捕されたが、裁判までの間に釈放されてしまう。
継続的に殺人を行っている少年を釈放してしまう神経が信じられないところだが、釈放された彼はその後も児童虐待や放火を繰り返し、またしても殺人を犯すのである。
― 小さき殺人鬼の最期 ―
カイエタノは家の前で遊んでいた子供に、「お菓子を買ってあげる」と廃屋に連れて行き、その手足を縛って殴る蹴るの暴行を繰り返したあと、なんと頭に釘を打ち込んだのである。 翌日、まだ16歳の恐ろしい殺人鬼は、ようやく殺人容疑で逮捕されたのである。
小柄で耳が大きいという特徴のあったカイエタノは、刑務所の中で「大耳のポニー」と呼ばれていた。刑務所でおとなしくしているはずはなく、囚人の飼い猫を殺し、袋叩きに遭ったこともあるようだ。
1944年11月15日、カイエタノは獄中で死亡した。
彼の死を悲しむ者はいなかった。
虐待せずにはいられない悲しき運命、しかし犠牲者のことを思えば彼を許す余地はないのである。