この事件は、日本少年犯罪史上、最悪と言われた事件である。
1988年11月、数名の少年が、女子高校生をわいせつ目的で拉致、仲間の自宅2階の居室に監禁し、リンチを繰り返した。
事件現場となった家庭は両親が共働きで留守がちなうえに、家庭内暴力で両親が子供を恐れていたことから、6畳間の居室が不良交友仲間のたまり場となっていた。
― 耳を塞ぎたくなる卑劣な虐待 ―
被害者への、集団によるわいせつ行為、リンチは壮絶を極めた。
殴る蹴るなどの行為を繰り返し行い、被害者は全身が血だらけになり、目の位置がわからなくなるほど顔が膨れ上がった。 足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶる、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。
驚くべきことは、女子高生を監禁していた家の両親は、彼女の存在を知っていたことである。一度一緒に食事をしたこともあり、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻してしまった。
仲間が家で昼寝をしていたすきに、被害者は2階から階下の居間に降りて110番したが発見される。警察から逆探知でかかってきた電話に少年が出て「何でもない。まちがいです」と返事をした。女子高生は「何でもするから家に帰して」と必死に哀願するが、被害者の行為に対して裏切りだと感じた少年達は、以後被害者に対してさらに酷いリンチを繰り返すようになった。
1989年1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、ほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって鉄の棒で殴るなどのリンチを加え、被害者は死亡した。翌日、死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。
3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の少年に対し、捜査官がなにげなく言った「お前、人を殺しちゃ駄目じゃないか」という言葉に、他の仲間が自供したと勘違いし「すいません、殺しました」と言った。驚いたのは捜査官だった。そして、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
― 少年は本当に更生したのか ―
裁判主犯格の4名は刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致(逆送)され、刑事裁判にかけられた。東京高等裁判所の判決は、主犯格の少年は懲役20年、他の少年はそれぞれ懲役5年以上10年以下、懲役5年以上9年以下、5年以上7年以下というもの。その他3人の少年が少年院に送致された。
副リーダーだった男性は、仮出所後、保護観察関係者の女性と養子縁組を結び姓を変えていたが、2004年に知人男性(当時27歳)を母親の経営するスナックに監禁し、「俺の女を取った」と因縁をつけて5時間にわたって暴行を加え、逮捕されて懲役4年が確定した。その際、「女を殺して10年懲役に行った」「あの事件で警察や検事を丸め込む方法を学んだ」などと話していたという。
女子高生殺しの公判では涙ながらに「自分は人間じゃないと思います。悪魔…人のことを不幸にして…」と述べていたのはすべて偽りであった。
2011年の現在、リーダー格の男性も含めて、女子高生を殺したすべての少年が出所している。