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恐怖の殺人の真実

グラハム・ヤング

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グラハム・ヤング

グラハム・ヤングは1947年イギリスに生まれた。
母は彼の生後まもなくして死んだため、彼の幼少期は孤独なものであった。 知能が高く孤独な少年にありがちな傾向として、彼もまた反社会的な独裁政権「ナチス」の思想にかぶれた。 一種の選民思想、超人思想である。ヤングは次第に周囲の人間を軽蔑し、侮蔑しながら成長することになる。

彼がはじめて周囲に毒を盛りはじめたのは14歳のときである。 家族の毎日の食事に少しずつ、酒石酸アンチモンを混ぜていったのだ。 父と姉、継母は目に見えて衰弱した。ヤングは家族に対して憎悪を抱いていたわけではなく、純粋に「毒物の影響に対する興味」からの犯行であった。 家族の衰弱を見ても、ヤングはアンチモンの混入をやめなかった。 父親の病状があまりに進んだので医者に診せたところ、砒素中毒という診断がくだり、それを聞いたヤングは

「医者が聞いてあきれる!砒素中毒とアンチモン中毒の区別もつかないのか!」と嘲笑した。

それを聞き、家族ははじめて彼の異常に気づいた。ヤングは逮捕されブロードムア精神異常者用刑務所に送られた。

彼が出所したのは9年後のことだが、その間に囚人がひとり、不可解な中毒死をしている。 ヤングが就職した会社では、彼の入社とほぼ同時に、社員の多くが腹痛や手足の痺れを訴えだした。 彼の毒によってふたりの社員が神経系統をやられ、激痛と苦悶のうちに死んでいった。 またほかにも二人の社員が手足の麻痺と胃の激痛に悩まされ、しまいには頭髪まで抜けはじめた。

あまりの異常な事態に、社に医師団が派遣された。 社員ひとりひとりが医師の面接を受けたが、その席でヤングは死亡した社員の症状について、驚くほどの医学知識を得々と披露した。

逮捕されたとき、ヤングは詳細な日記をつけていたことが発覚した。 彼は裁判で終身刑となる。 少量の薬物によって、他人の生き死にを支配できるという感覚にヤングは支配され、そして破滅に進むことになった。

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