イギリスのリバプールで、その恐ろしい事件は起こった。
― 大きな衝撃を与えた事件 ―
1993年2月12日、当時10歳のJ.ヴェナブレスとR.トンプソンの2人は学校を無断欠席し、食肉店の外で母親を待っていた当時2歳になるジェームス・パトリック・バルガーの手を引いて外に連れ出した。ジェームスの母親はすぐさま警備員に相談した。
ジェームスを連れて2人が歩いている所は合計38人に目撃され、その内の何人かはジェームスがケガをしていたことに気づいていたという。しかし、その他の目撃者はジェームスが嬉しそうに歩き、時折笑っていたと証言し、後に少年が暴力をふるうとは思わなかったと述べている。
目撃者のうち、2人に声を掛けた人もいる。その際、2人は怪我をした弟を警察に連れて行くところだと言った。
ジェームスが連れ去られたショッピングセンター
2人はジェームスを連れて約4km歩き、人気のない水路でジェームスの頭部と顔面に激しい暴行を加え、頭を地面に叩きつけた。
ジェームスの口には乾電池が詰め込まれ、顔には青いペンキが塗られた。更に2人は重さ約10kgの鉄の棒で暴行を加えた。
遺体を線路に直角に横たわるように放置したのは、事故死と偽装するためだった。
ジェームスの顔に塗られた青ペンキが2人の服に付着しており、靴にもジェームスの血痕が残っていたことから、2人は逮捕された。
ジェームスは失踪から2日後に遺体が発見されたが、その上を列車が知らずに通過したため、上半身と下半身が轢断された状態になっていた。
裁判所は、2人は最低でも10年は刑務所に収監されなければならないとの裁きを下したが、これに対して一部マスコミが猛反発し、大衆紙ザ・サンは2人を終身刑にするよう求める署名30万人分を法務大臣に届けた。
1995年、2人は刑期を最低でも15年に延ばされが、1997年、高等法院は法務大臣の決定を違憲と判断し、彼が変更した刑期は却下され、2人は18歳になった時点で釈放されることになった。 この事件をきっかけとして、相次いでイギリス全土の公共の場に警備カメラが設置されるようになった。
その後、2010年3月、J.ヴェナブレスは児童ポルノ規正法違反で逮捕され、牢屋へ逆戻りしたが、現在は釈放されている。