1992年3月5日、千葉県市川市で発生した当時19歳の未成年者による殺人事件である。
フィリピン女性と結婚していた少年は、妻が帰国している間にフィリピンパブに勤めていた別のフィリピン女性と関係を持ったことにより、暴力団関係者から200万円を要求されていた。
1992年2月、車を運転していた少年は、自転車に乗っていたA子さんと接触。
少年はA子さんをいったん病院に連れていって治療を受けさせたが、長く待たされたことに腹をたて、その帰り道に車内でナイフで脅し、自宅に連れこみ強姦した。
― 残虐極まりない殺人 ―
金の工面に困っていた少年は、その3週間後に、高層マンションのA子さん宅に強盗目的で侵入した。その時、家の中では祖母が1人で寝ていた。少年は現金8万円を奪って、「通帳はどこだ」と祖母に尋ねた。祖母は警察に通報しようとしたが失敗し、コードで首を絞められて殺害された。
午後7時頃、A子さんとその母親(36歳)が一緒に帰宅。少年は包丁を突きつけて母親を脅し、通帳の在り処を尋ねたが答えなかったので、背中に数回突き刺し失血死させた。その後A子さんを強姦し、午後9時半頃、帰宅した父親の背中を刺し失血死させ、預金通帳を奪う。
その後少年とA子さんは、両親が経営する編集プロダクションへ赴き、A子さんが「ヤクザが、お父さんの書いた記事が悪いとお金をとりに来ている」と、残業中の男性社員から預金通帳と印鑑を受け取った。翌6日午前6時頃、A子さんの妹(当時4歳)を刺殺。
― 逮捕されたその後 ―
同日午前9時過ぎ、A子さんの父親の会社から「様子がおかしい」と通報が入り、警察官が駆けつけた。少年は罪をA子さんになすりつけて逃走しようとしたが逮捕され、A子さんを保護した。
1994年8月8日、千葉地方裁判所で少年に死刑判決が言い渡された。少年は控訴したが、1996年7月2日に東京高等裁判所は控訴を棄却。2001年12月3日に最高裁判所で死刑が確定した。未成年者に死刑が確定されるのは、永山則夫連続射殺事件以来であった。
過去に暴行事件や強姦事件(事件実行当日にも別の被害者への強姦事件を起こしている)を起こしていた点、全く反省した態度が見られない点、A子さんの目の前で肉親を殺害したという残虐性、A子さんに包丁を持たせ罪をなすりつけようとした点などが重く見られた。
逮捕時、少年は「ついに少年院行きか」としか思っていなかった、という。1989年の女子高生コンクリート詰め殺人を思い起こし、「あれだけやっても誰も死刑になってない。俺なんかまだまともだ」とも思っていたそうだ。