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恐怖の殺人の真実

チフス菌入り菓子殺人事件

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チフス菌入り菓子殺人事件

―明かされぬ婚姻―
Aが初めてK子と出会ったのは、医学部実習生として病院に実習できていた時だった。最後の実習の際、AはK子に結婚を申し込んだ。

ただし、Aには学資出資者がいる手前、今はなるべく隠しておきたいという言葉を信じて、K子はAのプロポーズを承諾し、地味な結婚式と密やかな新婚旅行をした。しかも入籍はいずれという事の口約束で、既にK子は女医として稼いでいたため、費用はすべてK子が出すことになる。

さらに、夫婦として暮らしたのはたった10日間だけで、彼女は夫の学費を稼ぐため、ただちに郷里へ戻り開業することになる。K子は無駄使いは一切せず倹約し、彼女の収入のほとんど全額をせっせと仕送りした。Aはたまに彼女を訊ねてくる程度で、近隣の人たちは「妾だろう」とK子を白い目で見た。

Aが医学博士になれたのは5年後で、K子は35歳になっていた。K子は喜び勇んで夫のもとへ上京したが、夫は彼女を「親戚の女です。」と周囲に紹介した。夫の机の引出しからは、夫へ宛てた女の手紙が沢山出てきた。

AはK子に
「そのうち開業するからそれまで辛抱しろ。勤務先の院長には独身で通しているし、女医などと結婚しているとわかると体裁が悪い。つまらぬ男とかかわったと思ってあきらめてくれ。」
と説得する。

5年もの間、世間からは妾だ、情夫に貢ぐ哀れな女と白眼視されても歯を食いしばり、化粧もしないで働きづめで仕送りした結果がこれである。その間、写真に写っていた女が、花を持ってAを訪ねてくるのに遭遇したこともあった。

今まで耐えてきたものが一挙に吹き出した。すると、Aは開き直って
「それなら離婚しよう。」
と言う。

この事態にK子の兄が仲立ちをして、どうにか形だけの同居生活が始まった。同居は1ヶ月続いたが、他人の目につかないようにと、カーテンも窓も遮断され、靴も隠され、外出はおろか、洗濯すらおおっぴらにできないようなひどい生活を、K子は強いられる。挙句、Aの父から「出ていけ!」と言われ、止む無くK子は婚家を去る。

離婚の協議が始まった。
K子は「たとえいくら積まれようと金で解決するのはいやだ。」と主張したが、結局K子が5年間に貢いだ金額とほぼ同額の慰謝料を支払う形で、追い払われた。

数日後、A宅から送り返されてきたK子の荷物からは、彼女の大切な詩集が抜かれ、ふたりで写した写真はすべてアルバムからは剥ぎとられていた。呆れたことに運賃は、K子の着払いであった。

―失せた理性―
K子は手負いのメスの獣になった。

1939年、神戸市の某病院副院長のAの自宅に菓子箱が送られてきた。送り主は元患者である。Aの家族は疑いもせず、これを食べた。

するとただちに腸チフスを発病し、Aの弟が死亡した。菓子にはチフス菌がべったりと塗布されていたのだ。

―情状酌量―
K子は逮捕され、すべてを自供した。

花の20代の歳月をただ金を稼ぐためだけの存在として利用され、挙げ句の果て金で解決して放り出されようとしている自分はあまりに哀れであった。

「せめて病気にでもなって苦しめばいい」と思い、チフス菌を菓子に塗って送りつけたのだ。

求刑は無期懲役だったが、世間の同情はK子に集まった。
「K子が無期なら、Aは懲役何年ですか」という手紙が判事に届いていると噂された。

K子に対する判決は、懲役8年の実刑が下され、確定する。

1942年、K子は仮釈放になった。K子は生涯、独身をつらぬいたという。


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