忍者ブログ

恐怖の殺人の真実

地下鉄サリン事件

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件は、1995年3月20日に東京都の地下鉄でカルト新興宗教団体のオウム真理教が起こした化学兵器を使用した無差別テロ事件である。 警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件。神経ガスのサリンが散布されて、死者を含む多数の被害者を出し、大都市の民間人を標的とした世界初の毒ガステロ事件であり、世界に大きな衝撃を与えた。

また事件がクライマックスに向かうにつれオウム真理教というカルト宗教団体の、恐るべき実態が明らかになる。 山梨県上九一色村に建設されたオウム真理教の要塞サティアンでの麻原教祖逮捕劇は世界各地でトップニュースとして扱われた。

― 地下鉄テロ当日 ―
1995年3月20日月曜日AM8:00、通勤・通学に向かう地下鉄のラッシュアワーはピーク時に達していた。 またこの時間は官庁関係者の出勤が多く、国家転覆を目論むオウムはその時間を狙って犯行を計画していた。

犯行は5つの地下鉄で同時におこなわれた。

千代田線(代々木上原行)
散布役:林郁夫
送迎役:新実智光
林はJR東日本常磐線我孫子駅から直通する代々木上原行列車番号A725Kの先頭、1号車に北千住駅(7時48分発)から乗車した。 8時2分ごろ新御茶ノ水駅への停車直前にサリンのパックを傘で刺し逃走。 列車はそのまま走行し、二重橋前駅~日比谷駅間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、霞ケ関駅で通報で駅員が駆け付けサリンを排除した。 霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次の国会議事堂前駅で運転打切。 乗客の他、サリンとは知らずに危険物を排除しようとした駅員数名が被害を受け、助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負った。

丸ノ内線(荻窪行)
散布役:広瀬健一
送迎役:北村浩一
広瀬は池袋から7時47分発の第3車両に乗車し、御茶ノ水駅でサリンを散布した。 中野坂上駅で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出し、サリンを回収したが、列車はそのまま運行を継続した。 終点荻窪駅に到着。新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、新高円寺駅で運行が停止されるまで被害者が出ることとなった。 同線では1人が死亡し、358人が重症を負っている。

丸ノ内線(池袋行)
散布役:横山真人
送迎役:外崎清隆
横山は新宿駅から7時39分に乗り込み、四ッ谷でパックに穴を1つ開けサリンを散布した。 列車は8時30分に終点池袋駅に到着した。その際、本来なら終点駅で駅員によって車内の遺留物の確認が行われるがこの時はされなかった。 そのまま池袋から折り返し荻窪駅に向け出発した。本郷三丁目駅で駅員がサリンのパックをモップで掃除し、B901として池袋駅に再び戻った。 列車は新宿駅に向け運行を継続した。列車はサリン散布の1時間40分後、9時27分に国会議事堂前駅で運行停止された。 同線では約200人が重症を負っているが、この電車は唯一死者が出なかった。

日比谷線(東武動物公園行)
散布役:豊田亨
送迎役:高橋克也
豊田は中目黒発東武伊勢崎線直通東武動物公園行きの先頭車両に7時59分に乗り込み、恵比寿駅でサリンのパックを刺した。六本木駅~神谷町駅間で異臭に気付いた乗客が窓を開けたが複数の乗客が倒れた。 神谷町駅に到着後、乗客が運転士に通報し、被害者を病院に搬送された。その後、後続列車が六本木駅を出たため、先頭車両の乗客は後方に移動させられ、列車は霞ケ関駅へ向けて運行継続された。 列車は霞ケ関駅で運行停止した。同線では1人が死亡し、532人が重症を負っている。

日比谷線(中目黒行)
散布役:林泰男
送迎役:杉本繁郎
他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し、林は村井からの指示で3パックを携帯した。また、3パックの内1パックが破損し、二重層のパックの内袋から外袋内にサリンが染み出ていた。

彼は北千住発の日比谷線に上野駅から7時43分に乗車した。林は秋葉原駅で実行犯のうち一番多くの穴を開けサリンを散布した。 乗客はすぐにサリンの影響を受け、次の小伝馬町駅で乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出した。この状況下で一般乗客のとっさの判断を責められるものではないが、後にサリンによる被害が拡大することになってしまった。 サリンのパックを小伝馬町駅で蹴り出した当該列車は、サリンの液体が車両の床に残ったまま列車は運行を継続し、車内でも一時は収束したが、5分後に八丁堀駅に停車中に再度パニックに陥り、複数の乗客が前後の車両に避難し始めた。

8時10分に乗客が車内非常通報装置を押すと列車は築地駅で停車し、ドアが開くと同時に数人の乗客がホームになだれ込むように倒れた(この時の救出時の光景がテレビで中継された)。 列車は直ちに運転を打ち切った。この光景を目撃した運転士が指令センターに「3両目から白煙が出て、複数の客が倒れている」と通報したため、「築地駅で爆発事故」という憶測が続いた。 小伝馬町駅ではサリンのパックが出されたことで、A720Sの後続列車である、八丁堀・茅場町・人形町・小伝馬町で運転を見合わせた4つの列車と、小伝馬町駅の手前で停止し、小伝馬町駅に停まっていた列車を人形町駅の手前まで退避させた後に小伝馬町駅に停車した列車の5列車が入線した。 小伝馬町駅では5列車が到着し、内2列車が小伝馬町駅で運転を打ち切った為、狭いホームに多数の乗客が下ろされ、列車の風圧等でホーム全体に広がったサリンを多数の乗客が吸引する結果となった。小伝馬町駅は4人が死亡し、深刻な被害が発生した。 この路線では合計で8人が死亡し2475人が重症を負い、地下鉄テロでは最大の被害者をだした。

― 警察庁・消防庁・自衛隊による前代未聞の救助劇 ―
事件発生後の8時10分、日比谷線は複数の駅で乗客が倒れ、また運転士から爆発事故との通報を受け、築地駅と神谷町駅に多くの緊急車両が送られた。その時点で地下鉄駅構内および入り口付近ではパニックになっていた。 しかしこの後すぐに、世界を震撼させるほどの恐ろしい事態に事件は進んでいくのである。

次第に被害が拡大したため営団(現東京メトロ)は8時35分、日比谷線の全列車の運転を見合わせ、列車・ホームにいた乗客を避難させた。 一方で千代田線・丸ノ内線では不審物・刺激臭の通報のみで、更に被害発生の確認が遅かったため、運行が継続された。 この時点ではまだ毒ガステロが起きてるとは誰一人として予想していなかった。 9時27分、営団地下鉄のすべての路線で全列車の運転見合わせを決定した。その後、全駅・全列車を総点検し、危険物の有無を確認した。 被害者が多く発生した霞ケ関・築地・小伝馬町・八丁堀・神谷町・新高円寺のほか、人形町・茅場町・国会議事堂前・本郷三丁目・荻窪・中野坂上・中野富士見町の13駅にて救護所を設置し、病院搬送前の被害者の救護に対応した。 大混乱に陥った日比谷線は終日運転を取りやめることになり、丸ノ内線・千代田線については被災車両を車庫や引込み線に退去させたのち、霞ケ関駅を通過扱い(停車はするがドアの開閉はしないでそのまま発車)して運転を再開した。 次第に事件の全貌が把握され、またマスコミによる報道も過熱した。

東京消防庁は化学機動中隊・特別救助隊・救急隊など多数の部隊を出動させ被害者の救助活動や救命活動を行った。 警視庁では東京消防庁との連携の下、警察当局としてもまずは機動隊の機動救助隊を出動させ被害者の救出を行った。

当初はサリンによる毒ガス散布が原因とは分からなかったため、警察も消防も無防備のまま現場に飛び込み被害者の救出活動を行った。 現場では、東京消防庁の化学災害対応部隊である化学機動中隊が、原因物質の特定に当たったが、当時のガス分析装置にはサリンのデータがインプットされておらず、溶剤のアセトニトリルを検出したという分析結果しか得られなかった。 さらに、この分析結果は「化学物質が原因の災害である」ことを示す貴重な情報であったにもかかわらず、全現場の消防隊に周知されるまで時間を要した。

― 混乱する東京 ―
東京消防庁には事件発生当初、「地下鉄車内で急病人」の通報が複数の駅から寄せられた。次いで「築地駅で爆発」という119番通報と、各駅に出動した救急隊からの「地下鉄車内に異臭」「負傷者多数、応援求む」の報告が殺到したため、司令塔である災害救急情報センターは一時的にパニック状態に陥った。 誰もがその被害の規模を把握しておらず、通勤ラッシュの時間に、地下鉄という交通の大動脈となる交通機関が麻痺したこともあり、東京中が混乱を極めた。 この日、前代未聞となる東京23区に配備されているすべての救急車が出動した。また通常の災害時に行われている災害救急情報センターによる傷病者搬送先病院の選定が機能不全となり、現場では、救急車が来ない・救急車が来ても搬送が遅いという混乱した状況が見られた。

― 最前線での戦い ―
緊急に大量の被害者の受け入れは通常の病院施設では対応困難なものであるが、聖路加国際病院は当時の方針から大量に患者が発生した際にも機能できる病院として設計されていた。事件現場からも近く、病院側は外来を中止し、全被害者の受け入れを宣言。 無制限の被害者の受け入れを実施、被害者治療の拠点となった。又、済生会中央病院にも救急車で被害者が数十名搬送され、一般外来診療は直ちに中止。 虎の門病院も、数名の重症被害者をICU(集中治療室)に緊急入院させ、人工呼吸管理、大量のPAM投与など高度治療を行うことで治療を成功させた。 また、翌日の春分の日の休日を含め特別体制で、数百人の軽症被害者の外来診療を行った。 また、聖路加国際病院から「大量のPAMが必要」(※PAM=有機リン系中毒の解毒剤)と連絡を受けた薬品卸会社は、首都圏でのPAMの在庫が病院も含めほとんどなかったことから、西日本の各営業所および病院にあるPAMの在庫を東京に緊急輸送する為、東海道新幹線に社員を乗せ、停車駅ホームで在庫のPAMを受け取り、輸送する緊急措置が取られ、陸上自衛隊衛生補給処からもPAM2,800セットが送られた。 またPAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMや硫酸アトロピンを関西地区から緊急空輸し羽田からはパトカー先導にて治療活動中の各病院に送達した。最前線で多くの医療関係者が被害者救済にあたっていた。

― 自衛隊の出動 ―
陸上自衛隊では、警察に強制捜査用の化学防護服や機材を提供していた関係上、初期報道の段階でオウムによるサリン攻撃であると直ちに判断。 事件発生29分後には自衛隊中央病院などの関係部署に出動待機命令が発令され、化学科職種である第101化学防護隊、第1・第12師団司令部付隊(化学防護小隊)及び陸上自衛隊化学学校から教官数人が専門職として初めて実働派遣された。 除染を行う範囲が広範囲であったため、第32普通科連隊を中心とし各化学科部隊を加えた臨時のサリン除染部隊が編成され、実際の除染活動を行った。

― 世界を震撼させた有毒神経ガスによるテロ ―
当時の警視総監により緊急記者会見が開かれ、都内地下鉄構内にて「無差別テロ」発生であると全面的に発表。 同日警視庁内に警視総監をトップに対策本部を設置。警視総監が事件の総合調整と捜査の総指揮を行った。 警察官が発見した事件現場の残留物の一部は、警視庁科学捜査研究所へ持ち込まれた。鑑定官が検査するとその毒物が有毒神経ガス「サリン」であると判明。 この情報がすぐさま関係各所へ伝達されたので、消防や病院は早期の段階でサリンと判定し対NBC兵器医療を開始した。 全世界のメディアは日本の首都東京で有毒神経ガスによる無差別テロが実行されたことをトップニュースで伝えた。

― オウム真理教への家宅捜査 ―
教団は混乱する東京に国家転覆の成功へ一歩近づいたと考えていた。 しかし警察の動きは早かった。事件の2日後の22日、全国の教団施設計25箇所で家宅捜査を実施した。 家宅捜査で自動小銃や、軍用ヘリ、更にはサリンの製造過程で使用されるイソプロピルアルコールや三塩化リンなどの薬品も発見された。 また、事件前の1月には上九一色村の土壌からサリンの残留物が検出されたことから地下鉄サリン事件はオウム真理教が組織的に行ったと推定したが、決定的な証拠が得られなかった。

― 教団の暴走 ―
教団は外務部長である上祐史浩がメディアにたびたび登場し、サリン事件への関与を否定した。 議論に巧みなことから上祐史浩は時の人となった。 3月30日、サリン事件の指揮に当たった、警察庁長官(当時)が自宅のマンション前で銃撃される事件が発生(警察庁長官狙撃事件)。 オウム捜査の攪乱を目的に行ったと思われるが、犯人は特定されていない。 また4月23日には事件のキーマンとされる村井秀夫が右翼団体構成員に刺され、翌24日午前2時33分に死亡した。殺害の一部始終が取材に来ていたマスコミに報道され、日本中に衝撃が走った。 事件から19日後の4月8日、教団幹部であった林郁夫を放置自転車窃盗の容疑で逮捕した。 警察は当初、教団の実態把握を目的に取調べを行っていたが、麻原や教団に不信感があった林が「私が地下鉄にサリンを撒いた」と自供した。 林の全面自供で、5月6日、警察は地下鉄サリン事件をオウム真理教による組織的犯行と断定した。

― 5月16日、第6サティアン ―
1995年5月16日、この日、山梨県上九一色村は異様な光景で包まれていた。 上九一色村は教団の本部があり、多くの施設が存在した。 それぞれの施設はサティアンと名付けられ、その中には毒ガス製造をおこなうサティアンもあった。 警視庁・山梨県警、機動隊はサティアンに向かい、陸上自衛隊東部方面隊に対し第三種非常勤務態勢を発令していた。 現場付近は全面封鎖。付近住民を避難させていた。

この日までに多くの教団幹部が逮捕されていた。 そしてこの日、教祖麻原の確保、逮捕に向け警察による第6サティアン捜索が開始された。

事前の警察への匿名による密告情報では、「麻原はサティアン内の中二階に引き篭もっている」ということだったので、サティアン内へ捜査員を潜入させ、内部の重点捜索を行った。 捜索から数時間後、事前の密告情報による中二階は存在しないことが判明し、捜査撹乱を狙った密告ではないかと捜査員にも焦りの色が見え始めた。 その時だった。 サティアン内の隠し部屋に不審人物が横たわっているとの報告が入る。 この不審人物が教祖麻原であった。捜査員が踏み込んだ際は逃亡する気配すら無く横たわったままほとんど身動きしなかったので重度の身体障害があるのかとも思われたが、「麻原か?」と尋ねると「…はい」と弱々しく答え自認したため、その場から表へ出し、9時45分緊急逮捕した。 数名の武装捜査員によりサティアンから出された麻原は、警察側の連れてきた医師によって身体に異常が無いか調べられた後、特に怪我も無く異常無しと診断されたので、そのまま警察車両で護送された。 この逮捕劇は世界のメディアでトップニュースとして取り扱われた。

― サリン事件、実行犯 ―
[首謀者]
麻原彰晃(5月16日逮捕・死刑確定)

[指揮者・調整役]
村井秀夫(4月25日刺殺)
井上嘉浩(5月15日逮捕・死刑確定)

[サリン散布実行犯]
林郁夫(千代田線担当・4月8日逮捕・無期懲役確定)
豊田亨(日比谷線〔中目黒発〕担当・5月15日逮捕・死刑確定)
広瀬健一(丸ノ内線〔池袋発〕担当・5月16日逮捕・死刑確定)
横山真人(丸ノ内線〔荻窪発〕担当・5月16日逮捕・死刑確定)
林泰男(日比谷線〔北千住発〕担当・1996年12月3日逮捕・死刑確定)


[運転手]
新実智光(林郁夫の送迎役・4月12日逮捕・死刑確定)
外崎清隆(横山真人の送迎役・5月16日逮捕・無期懲役確定)
杉本繁郎(林泰男の送迎役・5月16日逮捕・無期懲役確定)
北村浩一(広瀬健一の送迎役・1996年11月14日逮捕・無期懲役確定)
高橋克也(豊田亨の送迎役・2012年06月15日逮捕)


[サリン製造者]
土谷正実(4月26日逮捕・死刑確定)
遠藤誠一(4月26日逮捕・死刑〔上告中〕)
中川智正(5月17日逮捕・死刑〔上告中〕)


― 続く教団 ―
事件によりオウム真理教は宗教法人の認可取り消し処分を受けた。 警察の捜査と幹部信者の大量逮捕により脱退者が相次ぎ、オウムは組織として大きな打撃を受け破産したが、現在はアレフに改組しまだ活動を続けている。 アメリカ国務省は現在もアレフをテロリストグループに指定している。 またアレフと近隣住民とのトラブルは今でも続いている。

PR

ゲーム売れ筋ランキング
本の売れ筋ランキング
家電・カメラ の 人気度ランキング
新着ランキングを見る
ほしい物ランキングを見る
人気ギフトランキングを見る
PR

コメント

カテゴリー

メールフォーム

PR