以下の登場人物を仮名とする
大阪連続バラバラ殺人事件。
1985年から1994年までのおよそ9年間、大阪市で4人の女性と1人の少女が殺害された事件だ。
少女以外の遺体はすべてバラバラに解体され捨てられていた。警察庁広域重要指定122号事件。
犯人は安岡敏夫(当時54歳)。
1995年4月10日、洋品店の倉庫から紳士用スラックス78本入り段ボールを盗んだとして安岡は逮捕された。
安岡の指紋は、10年前に奈良県内で見つかった知的障害者施設の寮生(19歳)のバラバラ殺人事件で、警察に送られた挑戦状の封筒の指紋と一致。
安岡は殺害を自供。その他4件の殺害も自供した。
― 安岡の犯罪史 ―
安岡は愛媛県大州市で生まれた。父親が亡くなったのを機に高校を2年で中退。
20歳の時に地元に戻って結婚し、一男一女をもうけているが妻と死別した。
その後、様々な職を転々としながら、子どもを連れて大阪市西成区に移った。
西成で飲み屋の女性と再婚して、子ども達もこの女性を慕っていた。
しかし安岡は外に女をつくり家に戻らなかった。2人の子供は再婚相手が面倒を見た。
その後、安岡は飛田新地や釜ヶ崎筋の飲食店の女たちに盗品を売り歩くようになった。
そして安岡は街で女を物色し、アパートに連れ込み、気に入らない時は殺害し、バラバラにして捨てるという行為を繰り返し始めた。
1985年5月中旬、家出中の主婦・里美さん(46歳)と立ち飲み屋で知り合い、自宅アパートに連れ込んだ。
その後、里美さんを絞殺。安岡は彼女の名前も知らないまま、その遺体をバラバラに切断し、神戸市西区の雑木林に遺棄した。
安岡が遺体をバラバラにした理由は、「持ち運びやすい」というごく単純なことだった。
その1ヶ月後、安岡は知的障害者施設を4月に抜け出して通天閣界隈で遊んでいた和子さん(19歳)に声をかけた。
寿司屋に入った後アパートに連れこんで、体の関係を持った。お小遣い1万円を渡したところ「少ない」と言われ逆上して殺害。
遺体をバラバラに切断して奈良県広陵町の竹薮に遺棄した。遺体は6月17日に発見された。
当時話題だったグリコ・森永事件を真似て、「怪人22面相」の署名入りの挑戦状を奈良県警高田署の所長宛てに送っていた。
これが安岡逮捕の手がかりとなった挑戦状である。
1987年1月22日、安岡は住吉区内で道を尋ねるふりをして、近くに住む小学3年・芽衣ちゃん(9歳)に声をかけた。
車で連れ去り、西成区の自宅アパートに連れこみ、いたずらしようとしたところを騒がれたため絞殺。
体の小さい芽衣ちゃんに関しては遺体をバラバラにすることなく、遺体は豊能町の山林に捨てた。
遺体はその年の5月4日に発見された。
1993年7月、西成区のスナックホステス奈津美さん(45歳)を自宅に連れこむ。
奈津美さんにとって安岡は羽振りの良い客であり、誘いに乗って彼のアパートにやって来た。
安岡が奈津美さんを押し倒そうとすると、奈津美さんは金の話を始めた。安岡はすかさず首を絞めて殺害した。
遺体はいつもと同じくバラバラに解体した後、レンタカーで運んで豊能町に捨てた。
安岡が盗品を売るのに出入りしていた居酒屋の従業員由紀さん(38歳)が最後の犠牲者だった。
1994年3月、安岡は由紀さんを誘ってアパートに連れこみ、ここで関係を持ったが、金を払う払わないで口論になり絞殺。
遺体はバラバラに切断後、箕面市の山林に捨てた。そして同年4月に発見された。
安岡は強面だが、太った体と愛嬌があり女性からの人気もあった。
札束を見せびらかして羽振りが良さそうに見せ、女性を虜にするのも上手だった。
しかし、会計は非常に細かい上に、ささいなことで激情しやすく、今回の事件もすべて、己の性欲を満たす目的で自宅に連れ込み、金などのささいなトラブルから逆上して殺害したものだった。
2005年7月8日、安岡は最高裁判所で死刑が確定された。