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恐怖の殺人の真実

藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件

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藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件

1987年(昭和62年)2月25日
通報を受けた藤沢北警察署の警察官らが神奈川県藤沢市のアパートの一室に踏み込んだ。

そこにはカセットテープレコーダーから流れる音楽を聴きながら、作業をする男女がいた。
警察が問いかけても、男と女はうわごとのように「悪魔払いをしている」とつぶやくだけだった。
男と女の手元には、無残に切り刻まれた死体があった。そして部屋には解体された肉塊ともぎ取られた内臓と血の海が広がっていた。

― 狂気の部屋 ―
現行犯逮捕で捕まったのは、その部屋の住人で、不動産業のS(当時39歳)と主婦で元看護士のM(当時27歳)。
殺されたのはMの夫で、ロックバンドのリーダーとして活躍するミュージシャン(32歳)と分かった。

「ミュージシャンに悪魔が取り憑いたので、それを祓うために殺した」
逮捕後Sはそう供述した。

― 悪魔に呪われた3人 ―
殺されたミュージシャンとSはいとこ同士で、子どもの頃から仲が良かった。
Sは不動産業と称してはいたが、実際にはほとんど何もせずブラブラしていた。1979年(昭和54年)には宝石詐欺を犯し、これは執行猶予になったが、その後も横浜市内で地上げした土地をめぐってトラブルを引き起こすなど詐欺まがいの行為を続けた。
ミュージシャンのほうはデビューを果たしレコードも発売したが、なかなか売れずスランプ続きだった。
2人は大人になってからも親交を深め、ミュージシャンがMと結婚した後も、付き合いは途切れることはなかった。
またミュージシャン、S、Mの3人に共通していたのは、いずれも横浜市にある新興宗教団体に入信していたことだった。
この教会は横浜に本部を置き、当時信者数は70万人を超えていた。中でも殺されたミュージシャンは、両親ともに熱心な信者で、1974年(昭和49年)に入信していた。
妻のMも1979年(昭和54年)に入信、Sもこの新興宗教の熱心な信者だった。

Sは埼玉にいたが、神奈川県藤沢市にアパートを借り、引っ越してきた。そしてミュージシャンとM夫妻の元へやって来た。
「この世は悪魔でいっぱいだ。やがて、核戦争が起き、世界は滅亡するだろう」「悪魔を祓い、救世の曲を作れるのはお前しかいないんだ」「自分には神が降りた」などとふきこんでいた。 ミュージシャンは最初は冗談半分に聞いていたが、「救世の曲」のことはずっと心に引っかかるようになった。

ミュージシャンのバンドはテレビ出演もあったが、伸び悩んでいた。
ミュージシャンはバンドのメンバーに「救世の曲」のことを相談したが、すでにその頃には解散話も出ていたため、メンバーとの離縁は決定的なものとなった。

Sはミュージシャンのバンドの行き詰まりも「悪魔が取り憑いているせいだ」と言い出し、ミュージシャンも次第にSにすがるようになった。
ミュージシャンはSの部屋に泊り込んで、「救世の曲」作りに没頭していった。
そしてSやMも一緒になって「救世の曲」作りは進んでいった。

3人の異様な行動に周りは困惑した。
バンド仲間やMの両親が「もう帰ろう」と訪ねて来ても、彼らは耳を貸さなかった。
2月19日、ミュージシャンとMをSから引き離そうと、事態を深刻に見たバンド仲間やMの両親が3人と話し合った。
そのなかで、Mは横浜の実家に戻るのがいいということになり、Mもその通りにSの部屋から戻った。
しかし実家に戻ったMは「この世を悪魔から救わなくちゃ」と呟いていた。

「ぼくにも悪魔が取り憑いた」
ミュージシャンがそう言い始めたのは翌2月20日のことだった。
その時にはMも実家から舞い戻ってきた。

― 悪魔祓いの儀式 ―
2月22日、Sは「悪魔祓いの儀式」を始めた。
3本のロウソクに火をつけた「祭壇」の前で、SとMはミュージシャンの体に塩をすりこみ清めた。
Sはミュージシャンとにらみ合う。
ミュージシャンが目をそらせば、悪魔が出ていったということになるが、ミュージシャンはとうとう最後まで目をそらさなかった。そのため、Sは、「肉体が死ななければ悪魔も死なない」とミュージシャンの殺害を決意した。
SはMに手伝わせて、ミュージシャンの首を絞めて殺害した。
その後、2人は悪魔が再び乗り移らないように、3日間ほとんど眠らずにミュージシャンの死体を切り刻み、頭蓋骨などに塩を詰めていたという。

2人は儀式の最中、ミュージシャンが作っていた「救世の曲」をカセットで聴き、口ずさみながら死体を解体、ナイフやハサミでそいだ肉や内臓は台所から排水溝に流していた。

アパート脇の下水の側溝には肉片が散乱し、回収できないほど遠くまで流れていた。

駆けつけた警察、バンド仲間や両親がその異様な光景を目にしたのは25日夜のことだった。
SとMの2人がミュージシャンの足、胴体、頭部をバラバラにし、死体を切り刻んでいる最中だった。
死体はノミやノコギリで肉塊と呼べるくらいにコマ切れにされ、床には内臓が飛び散っていた。
警察が来たにもかかわらず、2人とも一心不乱に頭部の骨についた肉をハサミで削り取っていた。
無関心のまま、2人はひたすら作業を続けていたのだと言う。

この事件は犯人のどちらかが発端者になり、もう1人が巻き込まれて2人同時に感応精神病になったものと言われた。
感応精神病とは、精神異常者の宗教的恍惚感や幻覚などが、それを信じる暗示性の強い人に伝わり、同じような症状を起こす病気だった。

1992年(平成4年)5月13日、横浜地裁は、「精神鑑定の結果、2人とも善悪を判断する能力があった」として、Sに懲役14年、Mに懲役13年(ともに求刑・懲役15年)の刑を言い渡した。
その後、Sは控訴したが東京高裁で控訴棄却となり、Sの懲役14年が確定した。

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