「練馬一家5人殺し事件」はバブル絶頂の日本でおきた不動産競売の取引での殺人事件である。
1983年3月、不動産鑑定士のY(48歳)は、東京地裁で競売にかけられた東京都練馬区大泉学園町の一軒家を1億280万円で落札して購入した。
所有権移転登記を済ませると、すぐに転売先を探しまわった。
なぜならYは資産のほとんどを担保に入れて銀行から1億数千万円借りて、その一軒家を購入したからだ。
4月、Yは渋谷の不動産屋と売買契約を成立させた。値段は1億2950万円。明け渡し期限は6月30日で、Yは内金1500万円をこの不動産屋から受け取っていた。
この家に住む借主を立ち退かせたとしても1000万円は儲かると見込んでいた。
しかしYの思惑通りに事態は進まなかった。
この物件には、もともと新宿区西早稲田にある洋書販売配給会社の課長Aさんの一家6人が住んでいた。
Yは落札した直後からAさんに立ち退きの交渉を始めていたが、難航していた。
Aさんは立ち退きを拒否していたのだ。
一家が期限までに立ち退いてくれなければ、転売先に内金の倍額の違約金3000万円を払わなければならないことになる。
一日も早く立ち退いてもらいたいYは、3日に一度は交渉のためにAさん一家を訪ねた。
Aさんは様々な理由をつけて、立ち退かない。
業を煮やしたYは立ち退きを求める裁判を起こすが、Aさんの「裁判を取り下げれば立ち退く」との言を受けて訴訟を取り下げた。
しかし、その後にAさんは取り下げ後も全く立ち退く気配を見せなかった。
― 殺意へ ―
実はこの物件はAさんの妻の父親の所有だった。父親の借金のカタに競売にかけられたのだが、Aさんは妻の父親から居座り続けるように指示されていただけだったのである。
父親は不動産取引に詳しく、立ち退き料をできるだけつり上げようとして引き延ばし工作をした。
立ち退き料は500万円が相場だが、Yに交渉した金額は3000万円だとも言われている。
Aさんの妻の父親の詐欺まがいの行為のせいで、Yは追い詰められた。そして父親も最愛の娘、孫を奪われるという哀れな結末を迎えることになる。
追い詰められたYは次第にAさんに対し殺意を抱くようになっていった。
「もう、殺すしかない。一家全滅させてやる」
5月下旬、Yは綿密な殺人計画を立てた。死体は富士山麓の樹海に棄てることにした。その運搬には車が必要なので、ペーパードライバーのYは車を購入して、自動車教習所で練習した。
また、天気が悪かった場合を想定して、一時的な隠し場所として1DKのマンションを月10万円で借りた。
― 犯行当日 ―
同年6月27日午後2時45分ごろ、YはAさん宅のすぐ近くに停めた車から出て、手提げバッグ1個を持ってAさん宅に向かった。
バッグには金づち2本、着替え用トレーニングウエア上下などが入っていた。
YはAさん宅の勝手口に行くと、「Aさん、Aさん」と声をかけた。
出てきたのはAさんの妻(41歳)だった。
「今日も明け渡しの件で来ました」と、それまで何度も言った言葉を繰り返した。
だが、妻は「主人がいない、私はわからない」と言った。
「ここの土地や建物は私のものだ。一体、いつになったら立ち退くんだ」
Yは怒鳴ったが妻はその言葉を無視するように、奥の居間に引っ込んでしまった。すかさずYはAさんの妻の後を追いかけ、居間に入った。
洋室には、食事用テーブルの脇にAさんの妻、その横に次男(1歳)、玄関寄り出入り口のところに、小学校に入学したばかりの三女(6歳)が立っていた。
「もう、話し合う余地はないんだな!」
そう叫びながら、バッグのポケットから金づちを取り出した。
Yは2人の子どもが見ている前で、Aさんの妻に正面から金づちを振り上げ、頭めがけて、力の限り振り下ろした。
Aさんの妻は「痛い、痛い」とうめきながら、ダイニングルームに逃げ出した。Yは金づちを持ったままAさんの妻を追いかけ、流し台の前で襟首を左手で掴んで引き寄せ、金づちを脳天めがけて振り下ろした。
2回、3回、4回、Yは頭蓋骨が砕けたような手応えを感じた。Aさんの妻はすでに動かなかった。
Yは、最後にもう1回、力を振り絞り金づちを振り下ろした。
その後、幼い次男がダイニングルームに入って来ると泣き始めた。
Yは次男の泣き声が外にもれてはまずいと判断し、次男も殺すことにした。
居間に引き返し、バッグの中からもう1本の金づちを取り出しダイニングルームに戻った。次男は倒れた母親の胸に両手をかけて泣いていた。
Yは金づちを次男の脳天に振り下ろした。その一撃で次男はそのまま母親の上に重なるように倒れて動かなくなった。
Yは何の罪もない1歳の幼児まで手にかけたのだった。
― 終わらぬ惨劇 ―
Yは居間に引き返した。
そこでは三女が恐怖のあまり、放心状態になって立ちすくんでいた。
Yは三女の正面に回り、金づちでその頭を打ち砕いた。三女は「苦しい・・・・・・」
とうめきながら、その場に仰向けに倒れた。
その後、三女の首に両手をかけ強く絞めた。2分ほどたつと三女はぐったりとして地面に崩れ落ちた。
Yは3人の死体を浴室に運んだ。そして、居間やダイニング・ルームに滴り落ちた血を雑巾できれいに拭き取った。
再び、浴室に戻ると、妻と次男の着衣を包丁で切り、剥ぎ取った。三女の服はそのままにした。
3人の死体を浴槽に入れ、フタをして隠した。
剥ぎ取った着衣は洗濯機で水洗いして脱水し、2階に持って行ってその場にあったビニール袋に入れた。
午後3時過ぎ、次女が、「ただいま」と声をかけて、勝手口から居間に入った。
ソファーにはYが座っていた。Yはこの家に3日に1回きてたのだから、次女は何も疑うことはしなかった。
そのとき、Yは次女に「お姉さんはいつ帰って来るの?」と訊いた。
次女は、「林間学校で29日の夜帰ってくる」と答えた。小学5年の長女(10歳)は長野県で開かれていた林間学校に参加していた。
Yは次女を追いかけ、首に両手をかけ、力を込め、吊り上げ気味に強く絞めつけた。1分ぐらいでぐったりとした。
Yは次女を床に寝かせると、そばにあった電気掃除機のコードを二重にして首に巻いて強く絞めつけた。
次女の死体も服を脱がせて浴槽に入れた。
Yは一家の主人であるAさんを殺害する準備に取りかかった。もっとも憎むべき相手である。
血で汚れたトレーニングウエアを新しいトレーニングウエアに着替え、外に出て、近くに停めてあった自分の車のトランクからマサカリ、タオル、手袋などの入った袋を持ってAさん宅に戻った。
再び、元の汚れたトレーニングウエアに着替えると、ソファーに腰を下ろしAさんの帰りを待った。
― 遺体解体 ―
Aさんは勤め先の会社を午後6時半ごろ出て、会社の同僚と高田馬場駅前の寿司屋で一杯飲んでから、午後9時半ごろに帰宅した。
勝手口から居間に入ってきた。
Yはソファーから立ち上がり、「明け渡しの件で来ました」と言った。
トレーニングウエアの下にはマサカリを隠している。Aさんは「まあ、かけましょうや」と言い、食事用のテーブルの椅子に座った。
YはAさんの態度を警戒しながら、「私の方は、事態が切迫しているんだ!」と叫び、すかさず右手の拳でAさんのみぞおちを打った。学生時代にボクシングを習っていたYのパンチは強烈だった。
みぞおちへの一撃で前かがみになったAさんに、Yはマサカリを取り出すと、左首めがけて横から一撃を加えた。
Aさんは、断末魔の叫びを上げ、四つん這いになった。
そこで、Yは再び、マサカリでAさんの左首めがけて振り下ろした。Aさんは完全に動かなくなった。
YはAさんの襟首を掴んで、その死体を浴室まで引きずって運んだ。
Aさんの着ていた服を包丁で切り、剥ぎ取って、遺体を浴槽に入れて隠した。
その後、居間に飛び散った血を拭い、血がしみ込んだ絨毯を浴室で洗い、玄関の土間に置いた。
時刻は午後10時を回っていた。Yは死体を解体するつもりでいたが、その音が外にもれることをおそれ、夜明けを待って行うことにした。
翌28日午前4時半過ぎ、血のついたトレーニングウエアから再び、きれいなトレーニングウエアに着替え、外に出て自分の車をAさんの門の前に移動させた。
車のトランクから電動肉挽き機、骨すき包丁、ノコギリ、ビニール袋などを取り出し、家の中へ運び込んだ。
浴室にマサカリ、ノコギリ、骨すき包丁を持ち込み、パンツ一枚の格好になり、医療用ゴム手袋をはめた。
Yは自分を破滅に追いやったAさんへの憎しみをぶつけるがごとく、悪魔の作業に取り掛かった。
Aさんの首をノコギリで切断した。
次に、骨すき包丁でAさんの胴体から手足をバラバラに切断することにした。
左ひじ関節に続いて、左肩関節を切断した。さらに、左足首、左ひざを切断した。右手、右足も切断した。
ダルマになった胴体の胸と背をノコギリでゴシゴシと切った。腹を骨すき包丁で裂いて内臓を取り出した。今度は胴体を横に切った。
さらに、死体を小さく切った。これを4つのビニール袋に分けて入れた。
内臓は骨すき包丁で10センチ四方に切った上で、電動肉挽き機にかけてミンチ状にしてからトイレに流した。
Aさんは完全に解体され処分された。
― 現行犯逮捕 ―
次に妻の死体を浴槽から洗い場に出した。
骨すき包丁で両肩関節、両ひざ関節を切断した。
さらに、腹を縦に切り、内臓を露出させたが、内臓は取り出さなくても梱包して運べるのではないかと思い直して中止した。
その後、浴槽から次男の死体を出して解体しようと首の切断を始めたが、包丁の先が欠けてうまく切れず、疲れも出てきたこともあって解体作業を中止し、死体を浴槽に戻した。
Yは浴室で自分の体を洗った。パンツも洗い、2階でパンツを干し、トレーニングウエアを着て、居間のソファーの上に横になってひと休みした。
午前9時ごろ、隣家の主婦が勝手口から中の様子をうかがい始めた。Aさん一家に電話が通じないので家の様子を見てくれと妻の実母から頼まれたのであった。
主婦がいることに気づいたYは、「この家の人たちは昨夜、引越して行きました。私はイチノセだ」と言った。
この主婦はさっそくYから言われたことを実母に電話で伝えた。
実母は息子Dに電話をして様子を見てくれと伝えた。
Dは「家の明け渡し交渉をめぐってAさん一家が監禁されているかもしれない」と考え、石神井警察署を訪れた。
午後0時40分過ぎ、2人の警官とともにDはAさん宅に急いだ。
裏木戸から入って勝手口を開けようとしたが、そのドアはビニールひもで固定してあった。
警官がそのドアを強く引いて10センチくらい開いたその隙間から家の中に向かって声をかけた。
「誰かいないか、石神井警察署の者です」
Yはハッとして、「今、行きますから、ちょっと待ってください」と言って、反対の表の玄関から外に出て停めておいた自分の車に乗り込もうとした。
だが、すばやく表に回りこんだ警官に見つかってしまい、「何の目的で入ったんだ」と訊かれ、Yははじめのうちは口ごもっていたが、まもなく、「この家の人を殺しました」と言った。
Yはあっさりと現行犯逮捕された。
石神井署に身柄を拘束されたYは、落ち着いた口調で犯行動機を述べた。
「自分は正常です。一貫して、心境に変化はありません。遺体は山中に埋めるつもりだった。Aさんは、骨まで粉々にしてやりたかったので、すっきりした。妻と子どもを殺したのは、可哀相だったと思います」
小学5年の長女は長野県での林間学校に参加して殺害を免れているが、翌日も事件のことを知らされないまま、貸し切りバスの中で出されたゼリー菓子を「弟に持って帰ってやるんだ」と食べずにしまっていた。
長女はその後、「みんな交通事故で死んだ」と親戚の人に聞かされた。
Yは2001年(平成13年)12月27日、死刑が執行された。66歳だった。