1980年ロンドン、キャンバーウェル。
ジョン・ボーデン(当時26歳)はアル中であり、強盗、恐喝、傷害を繰り返す街の不良だった。
不良仲間と共にロンドンで乞食や無力な酔いどれを拾っては、時間をかけていたぶることを無上の愉しみとしていた。
彼の不良仲間たちとは、ポーター、墓掘り労働者、墓掘り労働者の愛人で34歳の女だった。
彼らはバーでアマチュア・ボクサーのライアンという男を拾い、ボーデンのアパートに誘い込んだ。
1、2杯飲んだところで、ボーデンはライアンの背後にまわり、ナタで頭を一撃した。
そして意識もうろうとしたライアンを仲間全員でかつぎあげ、煮えたぎる熱湯の風呂に放り込んだ。
ライアンは一瞬で皮膚の表組織が壊死し、意識を失った。
だがまだ彼は生きていた。意識こそないものの反射的痙攣をつづけている彼を、4人はチェーンソーとナタで切り刻んだ。生きたままである。
両手足を切断されたのちに首を切り落とした。
ボーデンは笑いながらライアンの生首を両手で高々と抱えあげ、のちに乱暴にテーブルの上に据えた。
ライアンを解体してしまうと、愛人の女が中華料理をテイクアウトで買ってきたので、血だらけの部屋の中で、4人は腹ごしらえをし、それからバーに繰り出した。
ボーデンはさらに喧嘩騒ぎを起こし、相手の顔面に30針以上も縫う大怪我をさせている。
その後彼らはバラバラに遺体を捨て、墓掘り労働者の本妻のもとを訪れた。
そしてライアンの死体を損壊したことを武勇伝として語り始めた。
彼らが帰るやいなや、本妻はただちに警察に電話をした。
― 逮捕 ―
警察はすぐにボーデンのアパートに駆けつけた。
彼らは血の海の中、酔いつぶれて寝入っていた。
床も壁も家具もすべて赤く染まり、中華料理の食べ残しを乗せたテーブルにも血だまりができており、部屋のあちこちでゼリー状に固まった液体があった。
ボーデンは逮捕された。
法廷では事件の詳細を知らされた陪審員の3分の1が気分が悪くなり、一時退廷しなくてはならないほどだった。
ジョン・ボーデンは終身刑を宣告された。残る仲間たちは15年の刑を言い渡された。
判決を聞くやいなや、ボーデンは判事に
「クソじじい。てめえなんか癌になって死んじまえ」
と怒鳴った。