2006年12月16日、新宿の繁華街歌舞伎町から線路を隔てた向かい側の通りである、小滝橋通りの裏通りで、腰から下や頭部が切断された男性の胴体部分がごみ袋に入れられた状態で見つかった。
この周辺は新宿の中でも静かな地域であったが、それでも飲食店や専門学校が多く、それなりに人の流れはあった。 そんな街のど真ん中から切断された遺体が見つかったことにより、マスコミなどでも話題になった。 また残忍な手口と、死体遺棄された土地柄、暴力団関係者、または外国人マフィアの可能性も考えられた。
同月28日、東京都渋谷区神山町の民家の庭で男性の遺体の下半身が見つかった。 翌日、新宿と渋谷で発見された双方の遺体のDNAが一致し、腰の骨の切断面が合致したことから同じ人物と断定された。
遺体の身元は外資系証券会社に務める男性だった。 この男性は渋谷区の高級住宅地のマンションに住むエリートサラリーマンだった。 そしてこの男性の妻・P子(当時32歳)が死体遺棄容疑で逮捕され、夫の殺害も認めた。
― セレブ妻の暴走 ―
見つからなかった頭部は、P子の供述通り、町田市原町田4の公園で発見された。 P子は調べに対し
「12月12日早朝、酒に酔って帰宅した夫が寝た後、ワインのびんで頭を殴り殺害した。その後、渋谷区の雑貨店でノコギリなどを買い、自宅で遺体を切断した。胴体は旅行用キャリーケースに入れ、タクシーで棄てに行った。下半身は同じケースに入れて台車で運んだ。頭部は電車で運び、町田市の公園に穴を掘って埋めた」 と供述した。
P子と殺害された夫は2003年(平成15年)3月に結婚し、渋谷区の高級マンションで2人暮らしをしていた。 金銭的に問題のない生活をしていたP子であったが、次第に夫に対して殺意を抱くようになっていた。 夫による度重なるDVと浮気はP子を精神的に追い詰めていった。 またP子は目立ちたがりであり自己中心的な性格であり、ブランド好きで派手好きであった。 そんなプライドの高い性格から、夫に自分を否定され続けることに我慢できなくなっていた。
「結婚半年後から口論するようになり、生き方が合わなかった。夫から自分を否定することを言われ、暴行も受けたことから殺意を抱いた」 とP子は供述した。そして犯行時は心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったとして、心神耗弱か心神喪失の疑いを主張した。
2008年(平成20年)3月10日、検察側の鑑定医は公判で、P子の意識障害や幻覚を認め、犯行時は「心神喪失」状態だったと認めた。 3月24日、完全に責任能力があったと主張する検察側は地裁に再鑑定を請求したが、27日、地裁は公判でその請求を却下した。 これに対し、マスコミはP子は無罪となる可能性が高いと報じた。
しかし4月10日の公判で、検察側は論告で「精神鑑定の結果は全く信用できない。被告には完全な責任能力があった」と主張し懲役20年を求刑した。 弁護側は「被告に責任能力はなかった」と無罪を訴え結審した。
4月28日、東京地裁はP子に対し懲役15年を言い渡した。5月9日、弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。 2010年(平成22年)5月18日、東京高裁で控訴審第2回公判が開かれ、検察側は東京高裁が行った精神鑑定でP子の責任能力を認める判断が出たことを明らかにし、控訴棄却を求めた。
これに対し、弁護側は「犯行時は心神喪失状態だった」として改めて無罪を主張し結審した。
6月22日、東京高裁で弁護側の控訴を棄却。6月29日、弁護側が上訴権を放棄。 検察側は1審判決に対し控訴していないため、2審判決の懲役15年が確定した。
この事件は「セレブ・モンスター」「セレブ妻バラバラ殺人事件」と呼ばれるようになった。 P子の夫が大手外資系証券会社の子会社に務めていたこと、そしてP子の派手好きな性格からそう呼ばれ、マスコミは「勝ち組の犯罪」と報道していた。 また「DV」というキーワードもあり、被害者の印象が悪く言われることもおおかった。 しかし、この夫婦はセレブ(勝ち組)と言えるほどの収入を得ていたわけではなく、夫によるDVもそれほど大げさなものではなかったという説もある。 どちらにしろP子の見栄やプライド、偏った考えが、残虐な事件を招いてしまったのは事実である。