エド・ゲイン事件。
アメリカ犯罪史の中でも、もっとも有名な事件の一つで、その不気味で恐ろしい犯罪行為の数々は、「サイコ」「羊たちの沈黙」等、猟奇殺人を扱った映画や小説に多大なる影響を与えた。
― 事件その1 ―
アメリカの中北部、ウィスコンシン州に、プレインフィールドという人口600人の小さな町がある。
街の名の由来は「何も無い平野」。
実際その通り、どこまでも続くライ麦畑のみが存在する田舎町だった。
この小さな田舎町で世界を震撼させる大事件が起きるのである。
1954年12月8日、この町の酒場に農夫が来店した。しかし中には誰もいなく、おかみを探したが返事がなかった。
そしてカウンターを覗き込むと仰天した。床が血だまりになっていたのである。
通報を受け駆けつけた保安官は、床に転がるライフルの薬莢と、何者かに連れ去られたかのような血の痕を発見した。
そして被害者はこの店の経営をしている太った中年女性メアリー・ホーガンだと目星をつけた。
誰かがメアリーを射殺し、その遺体を持ち去ったのだろう。
しかし、争った経緯もなく、レジの金もそのまま、動機がまったく掴めなかった。
事件から1ヶ月が経過しても事態は進展しなかった。
小さな田舎町は「メアリー失踪事件」の噂で持ちきりになった。
― 冗談を言う男 ―
その日、製材所を営むエルモ・ウエックの元に、塀を直しに一人の男が来ていた。
ウエックは男がメアリーの酒場に出入りしているのを知っていた。そしてメアリーに気があったことも…。
「お前がもし本気でメアリーを口説いていたら、彼女は今頃、お前の家で夕食を作っていただろうにな」
ウエックは冗談交じりに男に喋りかけた。すると男は微笑み、こう答えた。
「彼女はいなくなってなんかいないさ。いまも家にいるよ」
そう、この男が殺人鬼「エド・ゲイン」であった。
― エド・ゲイン ―
ゲインは、プレインフィールドの西のはずれに住む無口な中年男だった。
1947年に母親が死んでからは天涯孤独となった。そして完全な孤独は彼を狂気に染めていった。
しかし、ゲインの表面は全く違った。
ゲインは街のよろず屋として、様々な仕事の手伝いをしていた。
頼んだ仕事をイヤな顔一つせずに手伝ってくれ、物静かで礼儀正しく、丁寧な口調で決して汚い言葉や他人の悪口を言わないゲインを住民たちは重宝していた。少々変わり者なところはあったが、温厚で誠実な性格は村の子供たちからも人気者になっていた。
しかしゲインの心は闇に蝕まれていた。
ゲインは幼い時から母親の歪んだ教育方針によって、統合失調症の兆候が見られるようになった。
そして母はゲインに友人を作ること、女性との関わりなどを禁止し、父の死を祈らせた。
十分な対人能力を得ないままゲインは成長し、母だけを愛すようになっていた。
しかし母は病に冒され、ゲインの献身的な看病にもかかわらず帰らぬ人となった。
ゲインは完全な孤独になり、オカルト、解剖、死体への性的執着、カニバリズムなど狂気の世界に落ちた。
母の歪んだ教育がゆえ、そうなる運命だったのかもしれない。
― 事件その2 ―
3年後の1957年11月16日、今度は金物屋を営むバーニス・ウォーデンが行方不明になった。
バーニスはメアリーと同じく太った中年女性だった。
その日は鹿狩りの解禁日ということで、男たちはみな森に出掛けていた。
町は閑散としていたが、バーニスは店を開き、一人で店番をしていた。
バーニスの息子が帰って来たのは日が暮れた頃だ。
店は明かりが灯っているにも拘わらず鍵がかかっている。
不審に思って合鍵で中に入ると、まずレジがなくなっていることに気づいた。
そして、床が血だまりになっている。息子は慌てて保安官に通報した。
新任の保安官が駆けつけた。
すると息子は犯人の見当をすでにつけていた。
「あいつがやったことは判っているんだ」
「誰がやったんだ?」
「エド・ゲインさ」
保安官は驚いた。
すると息子は血まみれの紙切れを保安官に差し出した。
それはゲインに宛てられた本日唯一の売上伝票だった。
― 犯行当日ゲインの行動 ―
男たちがみな鹿狩りに出掛けた午前中、ゲインがバーニスの店に現れた。
バーニスは最近ゲインにしつこく口説かれており、会いたくはなかった。
しかし、客なのでいつものように愛想よく応対した。
「ライフルを変えたいんだけど、見せてもらっていいかな」
と隅の棚からライフルを手に取り、品定めをするふりをしながら弾を込めると、バーニスの頭を打ち抜いた。
その日の午後、近所に住む兄妹が「車のバッテリーが切れたので、町まで車に乗せてくれないか」とゲインに頼みに来た。奥から現れたゲインの両手は血まみれだった。
「鹿をさばいていたんだよ」
ゲインはそう言うとニヤニヤと笑ったが、兄妹は不審に思った。彼は常日頃から「獣をさばくのは嫌いだ。血を見るだけで気を失いそうになる」と云っていたからだ。
だからこそ彼は鹿狩りに出掛けないのである。しかし、まあ当人がそう云うんだからそうなのだろうと、血を拭ったゲインに町まで送ってもらった。
そして、御礼としてゲインを夕食に招いた。
― 地獄へようこそ ―
ゲインが御礼の夕食に舌鼓を打っていた頃、保安官はバーニスの息子と共にゲインの家へと向った。
家の中は真っ暗で誰もいない。二人は裏手に建て増しされた台所に踏み込んで、ライトをかざした。
光は天井からぶら下がる何かを捉えた。
二人はその何かにライトをかざした。
その瞬間、この凄惨な光景が二人の視界に広がった。
それは両足を広げ逆さ吊りされた人間だった。陰部から胸部に至るまでが縦一文字に切り裂かれて、はらわたをすべて抜かれている。首も切断されていた。
想像を絶する姿に二人は言葉がでなかった。
しかしバーニスの息子はその異形の物体が変わり果てた母の姿であることを悟り、発狂した。
保安官は外に飛び出し、何度も吐いた。
すぐにゲイン家の捜索が警察によっておこなわれた。
ゲイン家の中はまさに地獄だった。
ベテランの捜査官でも、ここまで凄惨たる光景は未だかつて見たことがなかった。
部屋の中には汚れたままの食器や腐りかけた残飯、空き缶や空き瓶、その他さまざまな汚物が所狭しと散らばっていた。
食器類の中には不思議な形のものがあった。よくよく見れば、それは人間の頭蓋骨の上半分を切り取って加工したものだった。
棚にはズラリと頭蓋骨が並んでいる。ベッドの柱も頭蓋骨で飾られていた。
椅子には人間の皮が貼り付けられ、よく見るとランプシェードやゴミ箱、太鼓などすべて人間の皮で出来ていた。
ベルトは女性の乳首で飾られ、ブラインドの紐にも唇がついていた。
「干し首」も9つ見つかった。どれも髪の毛がついたままだった。その一つに3年前に失踪したメアリーのものもあった。
バーニスの切断された頭部も発見された。両耳から紐が通されており、壁飾りとして吊るせるように加工されていた。
彼女の心臓は、オーブンの上の鍋の中で調理されるのを待っていた。
古ぼけた箱の中には女性器が大量に保管してあった。
ほとんどが乾いて縮んでいたが、一つだけは銀色に塗られ、赤いリボンで飾られていた。
一つは、バーニスのものだろう、保存用に塩がまぶされていた。
その他、鼻だけが大量に詰まった箱も発見。
人皮のマスク、人皮の洋服なども見つかった。それは丁寧に人体から剥がされたものだった。
ここは生きた人がいて良い場所ではない、ここは地獄だ。
捜査官はみなこの光景が現実か夢か判断がつかなくなっていた。
そしてゲインの不気味さを一層引き立たせる場所がこの家に存在した。
おぞましい地獄の中に整然とした部屋があったのだ。
捜査官は引き続き視界に広がる地獄の中を調査した。
この歪んだ世界には全部で15人の女性の死体があった。
― 逮捕、そして ―
ゲインはすぐに逮捕された。
ゲインが殺害した女性はメアリーとバーニスの二人。そして1954年から行方不明となっていたマリー・ホーガンを殺害したことも認めている。
その他の遺体は墓場から掘り起こしたものだった。
盗み出した遺体を解体・加工し数々の悪趣味な品物を製造していたのだ。
満月の夜に、切り取った女性器に自らのペニスをくるみ、乳房のベストを身に付け、女性の頭皮を被って農場内を歩いたり、剥いだ皮膚を張った太鼓を肩から吊るして、人骨のばちで叩き鳴らしたりした。
また、ゲインには性転換への憧れがあり、女のふりをするために「人肌で作った女性用のスーツ」を身にまとった。
逮捕後、ゲインは裁判中に証言台に立つこともできないほど精神的に無能力者と評決され、最終的に、慢性的な精神障害(性的サイコパス)として無罪になった。
その後、ミネソタ州立精神病院に収監され、1984年7月26日、癌による呼吸不全で死亡した。
ゲインが求めた女性はすべて中年で太っていた。
それらの容姿は母親に似たところがあった。
ゲインは殺人と母親は密接な関係があったのだろう。
凄惨なゲイン家の中で、唯一秩序がたもたれた母の部屋、
母に似た女性で作った数々の装飾品、
母に精神を汚され、それでも母を求めたゲインは
孤独な世界の中で、自分なりの居場所、楽園を求めたのだろう。
しかしゲインが作り出した楽園は、我々にとってはアメリカ犯罪史の中でも類を見ない地獄であった。