1982年から1990年にかけて多数の売春婦が殺害され、死体はグリーン川に遺棄された。 この連続殺人は長らくアメリカ最大の未解決殺人事件であり、未解決事件の中でも最悪の被害者数を出したとされる伝説の連続殺人事件である。
2001年、DNA鑑定から犯人がリッジウェイであることが発覚し、解決した。
54歳で逮捕されたゲイリー・リッジウェイ(1949年2月18日ソルト・レイク生まれ)は1982年に16歳の少女をレイプして絞殺したのを皮切りに、主に売春婦を同様に殺害。アメリカで48人、カナダで61人を殺害したとされる。
高校を卒業後、べトナムへ行き、その後30年間、トラックのペンキ屋として働いた。逮捕当時は、コンピューター会社で働いていた。 3度の結婚経験があるものの、売春婦に対し執着心があり、よく売春婦を買っていた。女性と良い関係が持てなかったと伝えられている。
― 事件の迷宮入り ―
1982年、Route 99より失踪した若い家出少女や売春婦が、絞殺死体や裸体死体としてグリーン川付近に次々に見つかる。 6ヶ月の間に6体もの死体が発見され、大掛かりな特別捜査班が組まれたが、現場では情報が錯乱し、全ての犠牲者・ケース詳細情報を整理するのは難航した。警察の必死の捜査をあざ笑うかのように、1983年末まで行方不明者は9人増え、そのうち7人の女性が死体で発見された。 グリーン川殺人事件の被害者と思われる犠牲者数は増えるのみだった。 やがて「グリーン川殺人事件」捜査本部もほぼ解散に追い込まれ、そしてこの後10年間は、事件解決の糸口すら掴めない状態でいた。
― 20年越しの逮捕へ ―
初めの犠牲者から約20年後、2001年、ワシントン州キング郡保安官となったデイブ・レイチャートが捜査を再開。 当時はなかった新たなる技術を駆使してDNA鑑定と犯罪科学捜査に乗り出す。
1982年と83年に犠牲者から採取されたDNAが、87年に容疑者の一人として髪の毛や唾液をサンプルとして提出していたリッジウェイのDNAと一致、それが決定的な証拠となり、逮捕となった。
リッジウェイは検察側と司法取引をし、これらの事件を認めるのと引き換えに死刑は免れ、2003年に加重第一級殺人罪で仮釈放なしの48回分の終身刑を言い渡される。
この判決に、死刑が認められているワシントン州では、48人も殺害しておいて、犯行を自供し捜査に協力する事と引き換えに死刑を逃れたことについて 他の殺人被告側から「こちらは1人しか殺していないのに、死刑を求刑されているのはあまりにも不公平だ」との異議申し立てが相次ぎ世論を揺らす事となった。
リッジウェイは3回の結婚歴があり、子供も居る彼は30年間同じ職場で働き、休み時間には聖書を読む真面目な男だったが、一方ではグリーン川に5・6人の死体をまとめて遺棄した場所を「クラスター(集団)」と呼び未発見のうちに時々見に行ったりしていた。 リッジウェイが逮捕された後も妻(リッジウェイの3度目の妻)は、リッジウェイの無実を当初、信じていたが現在は、離婚している。
リッジウェイの犯行の特徴はレイプ後の絞殺、そして遺棄だったが、「グリーン・リバー・キラー」の仕業とされる殺人の中にはバラバラにされたものなどもあり、はたしてすべてがリッジウェイただ一人の犯行だったのか、という疑問も残るほど大規模な事件であった・・。
現在は、仮釈放なしの終身刑で、服役中。