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恐怖の殺人の真実

サクラメントの吸血鬼

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サクラメントの吸血鬼

1950年、カリフォルニア州サクラメントの中流家庭に生まれたリチャード・チェイスは、少々内気な部分もあるが、素直なやさしい子として育った。 しかし、12歳の頃に、母親が精神分裂病を発症する。彼女は幻覚や妄想を抱くようになり、夫に対し、浮気をしているだの、麻薬をやっているだの、自分を殺そうとしているなどと言って、なじるようになった。

毎日のように続く両親のいさかいに巻き込まれて、チェイスの心は次第に壊れていった。 ハイスクールに通う頃には酒に溺れ、マリファナを常用し、完全なジャンキーになっていた。

ハイスクール卒業後は職についたが、やはり長続きしなかった。 大学に進学してみたが続かず、既に離婚していた両親の家を行ったり来たりしてブラブラしていた。 まもなくチェイスの精神に異常が現れ始める。 自分の血がどんどん薄まっていると信じるようになり、

「誰かが私の肺動脈を悪用している」。

などとワケの判らないことを病院に訴えた。 1973年の時点で、精神科医は彼が重度の精神障害を負っていると診断したが、両親はそのまま放置した。

1976年、ウサギの内臓を生で食べた彼は、中毒症状を起こして病院に担ぎ込まれた。 そして、そのまま精神科に送られた。その奇行は院内でも評判になった。つかまえた小鳥の頭を喰いちぎり、顔やシャツを血まみれにしてウロウロしているところをしばしば目撃されている。 看護士たちは彼を「ドラキュラ」と呼ぶようになった。

― サクラメントの吸血鬼 ―
チェイスがドラキュラになったのには理由があった。 彼は「誰かに毒を盛られたために血液が粉になってしまうので、血液を補充しなければならない」と信じていたのだ。 投薬によって症状は次第に落ち着いたが、完治したわけではなかった。 薬を服用し続けることを条件に、主治医は彼を退院させた。 しかし、やせ細った息子の状態を案じた母親は薬をやめさせてしまった。 そのために、症状はどんどんと進行していった。

本来であれば母親の保護下に置かれなければならなかったチェイスであるが、月246ドルの社会保障を得てアパートを借りて一人暮らしを始めた。 チェイスは精神異常のまま社会へ野放しとなってしまった。

チェイスが暮らす地域では、犬や猫のペットが続々と行方不明になった。 その内臓をミキサーにかけ、コーラで割って飲んでいたのである。 母親はこうした奇行を知りながらも放置していた。

そして対象はどんどん大きくなりはじめる。犬猫から牛へ、そして人間へと。

1978年1月23日、妊娠3ケ月だった妊婦を射殺した後、腹を切り裂き、ヨーグルトの容器で血をすくって飲んだ。そして、腸を引き出し、臓器を切り取った。その後、チェイスは排便をおこない、その排泄物を被害者の口に入れた。

4日後の1月27日、一家惨殺をはたらいた。 彼はイヴリンと6歳になる息子のジェイソン、友人のダニエル・メレディスの3人を射殺した。チェイスは4日前殺害した妊婦同様、イヴリンの腹を切り裂き、血を飲んだ。 そして甥でまだ2歳にもならないマイケル・フェリエラを連れ去った。後日、マイケルは首を切り取られた死体になりゴミ捨て場で発見された。

翌日の1月28日、目撃者の通報を受けてチェイスのアパートに踏み込んだ警察はその凄惨な光景に目を背けた。彼の室内は非常に不潔で、床や壁にとどまらず、家具、ベッド、浴室、台所に至るまで、部屋中すべに血が飛び散っていたという。 そして、ベッドの上には子供の脳が置かれていた。

部屋に貼られたカレンダーを目にした警察はゾッとした。犯行があった1月23日と27日の他に、その年だけで44日にマークがしてあったのだ。 チェイスはその後も大量に人を殺し続けるつもりだったようだ。

チェイスは逮捕後、死刑判決となる。 そして1980年12月26日、隠していた抗鬱剤を一気に飲み干し自ら命を絶つことになる。

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