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恐怖の殺人の真実

リンドバーグ愛児誘拐事件

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リンドバーグ愛児誘拐事件

―冒険家の息子―
1927年、チャールズ・リンドバーグ(当時25歳)は、史上初の大西洋横断単独飛行に成功して、一躍世界の英雄となった。 1929年、駐メキシコ大使の次女と結婚し、地位も名誉も手に入れた。

1930年、長男のジュニアが生まれ、何不自由ない思い通りの充実した日々を送っていた。

しかしそんな絶頂期に事件は起こった。

1932年3月1日、長男のチャールズ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)がニュージャージー州の自宅から誘拐されたのだ。

ベビーシッターが気づいたとき、すでにジュニアの姿は寝室から消え失せており、窓の下には手製らしき組立て梯子が倒れていた。窓の桟には、金釘流で書かれた5万ドルの身代金要求文がはさんであった。

犯人についての手がかりは少なく、身代金の要求を書いた手紙の最後には、ふたつの輪が組み合わされ、その中に3つの穴をあけた奇妙なマークが書かれ、「すべての手紙の目印は、署名と3つの穴である」と記してあった。これは犯人のマークと考えられた。

その手紙から指紋は検出されなかった。

筆跡鑑定家は「粗野で教養の低いドイツ人の書いたものだろう」と推測した。 他の手がかりといえば、窓の下に残っていた不明瞭な泥だらけの足跡と少し離れた場所から発見された大工用の鑿(のみ)だ。

―ジュニアの行方―
リンドバーグは、警察の公式捜査よりも独自のルートでの捜査をすすめた。ジョン・コンドン博士(当時72歳)を誘拐犯との仲介者とした。

コンドン博士は新聞広告を利用して犯人と連絡をとり、身代金5万ドルの支払いに応じると答えたが、犯人は「赤ん坊のお守り代として2万ドル上乗せする」と身代金を増額し、7万ドルを要求してきた。リンドバーグはこの要求を受け入れ、紙幣番号をすべて控えた7万ドルを用意した。

暗い共同墓地でコンドン博士は犯人と接触し、その場で身代金を2万ドル値切り、5万ドルを犯人に手渡した。コンドン博士は、犯人の顔は真っ暗でまったく見えなかったが、ドイツ訛があったと証言した。

犯人から「マサチューセッツ沖に停泊中のネリー号に赤ん坊がいる。」というメモをコンドン博士は受け取っていた。

リンドバーグは自家用機を飛ばして、マサチューセッツ沖の一帯を血眼になってネリー号に閉じ込められているチャールズ・ジュニアを探しまわったが、見つけることはできなかった。ネリー号の情報はデマだったのである。

事件から73日後の5月12日、ジュニアは変わり果てた姿で発見された。大佐の邸宅からたった2マイルしか離れていない森の中で、ジュニアは頭を割られた無残な姿で死んでいた。

検視の結果、ジュニアは誘拐された夜に殺されており、放置されていた小さな遺体は腐乱しきっていたため、下着のシャツによって、死体がジュニアであることをかろうじて確認できた。

警察は身代金として支払った紙幣番号を全米の銀行、劇場、商店などに通達して協力を求めたが、捜査は行き詰っていた。

―容疑者逮捕―
事件から2年後の1934年9月18日、客から金を受け取ったガソリンスタンドの店員が、代金として受け取った10ドル紙幣が、身代金として払われた「リンドバーグ紙幣」と呼ばれる紙幣番号と一致することに気づき、急いで車のナンバーを書き留めて警察に連絡した。

捜査の結果、ドイツ系ユダヤ人のブルーノ・ハウプトマン(34歳)が逮捕された。家宅捜索をすると、彼の家からは1万4千ドルの「リンドバーグ紙幣」が発見された。

ハウプトマンは「ドイツに戻った仕事仲間のイシドール・フィッシュから預けられたものだ」と言い張った。捜査を進めるとイシドール・フィッシュは既にドイツで死亡しており、ドイツへ渡航する際には、番号が控えられた紙幣を使用していた。

リンドバーグが身代金を支払った後に、ハウプトマンは大工の仕事を辞めている。

過去にフィッシュとハウプトマンは前科があり、他にも詐欺を働いていたことが明らかになった。さらに梯子を使った押し込み強盗もしていた。

彼のガレージには、現場の遺留品である梯子とまったく同じ切り口ができるノコギリがあった。彼の筆跡は身代金要求文と一致し、署名の最後にあった奇妙なマークは、BRH(犯人のイニシャル)というアルファベットを組み合わせたものだという鑑定結果が出た。

犯人として断定できる様々な証拠が揃った。

―冤罪の疑い―
裁判の結果、1935年2月13日、ハウプトマンは有罪を宣告された。

1936年4月3日、電気椅子で処刑された。

あらゆる証拠からハウプトマンの犯行は明らかのようだったが、彼は最後まで無実を叫びつづけており、実は彼には事件当日に仕事をしていたというアリバイがあり、夜の9時に妻を迎えに行っていた。その証拠となる出勤簿はなぜか裁判が始まる前に消失している。

矛盾した証拠が検察側からも出されている。犯人が足をかけた時壊れたとされている梯子は、ハウプトマンが自分の家の屋根裏部屋の床から材料を切り取りた自作品だとして提出された。

しかしハウプトマンの弁護士は、梯子の木材と屋根裏部屋の床の木材が一致しない事や、大工だったハウプトマンが作成したにしては梯子の作りが稚拙である事を主張した。

いくつか問題はあったものの、証拠の数々から推測するとハウプトマンがまったくの無実であったとは考えにくい。

―その後のリンドバーグ―
愛児を失ったリンドバーグはその後、ナチス礼賛論を唱えるなどドイツを指示し、徐々に国民の人気を失っていった。

癌におかされたことを知ると、彼はハワイへ移住し、葬儀をハワイ式で執り行うように依頼した。キリスト教に対する反逆の表れだったのだろうか、彼はペットの猿が埋葬されている墓の横に埋められた。

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