―怜嬢誘拐―
昭和21年9月17日、終戦後の混乱で混沌とした夏の終わりに、S財閥令嬢のK子さん(当時12歳)が、女学校からの下校途中に誘拐された。
警察は公開捜査の体制を整え、犯人の要求を待っていたが、脅迫状及び身代金要求の電話などが来る気配はなく、犯人の目的が不明であった。
事件の予兆はあった。
K子さんが連れ去られる1週間ほど前に、カーキ色のシャツと乗馬ズボンを着て、軍靴に赤い脚絆を巻いた30歳ぐらいの男が、「Sさんの娘さんはどちらでしょう?」と別の学友に尋ねていた。
財閥怜嬢を狙った計画的犯行であることが判明した。
尋ねられた女学生の証言から、同年3月の某工業会社専務の娘誘拐事件の犯人と酷似していることが判り、警察は同一犯と断定して、前科一犯のH(当時22歳)を指名手配した。
事件から6日後の9月23日、指名手配中のHは、岐阜県中津川で逮捕された。
逮捕の決め手となったのは、列車に乗っていた老婆の通報だった。車中で隣りに新聞記事の誘拐記事の写真とそっくりの少女が座ったため、下車後に慌てて警察に駆け込んだということだった。逮捕当時、K子さんは下駄履きで灰色の帽子をかぶっていたという。
事件解決の新聞記事の中で「ただもう怖くて、一刻も早くお家に帰りたくて・・・」というK子さんの談話が載った。しかし現場の旅館で新聞記者と対面した時にK子さんが語った言葉は意外なものだった。
「千葉で映画を見たの。面白かったわ。映画を見たのは生まれて初めてなの。あの人が、あなたは狙われているから守ってあげるという言葉を信じていたの。」
「偽名を使ったのよ。あの人が本多良男で私が妹のひろ子。何だかおかしかったけれど、しまいには本当のお兄さんのような気がしてきたわ。千葉では化粧品セットを買ってくれ、名古屋ではスカートを買ってくれたの。退屈するとお人形を作ってくれたり、とてもやさしくしてくれたので、淋しいと思いませんでした。あの人がそんな悪い人とは(思わなかった。)」
その後のHについての足取りについての記録は知られていない。
―誘拐に至るまで―
Hはごく普通の家庭に育った子どもであった。幼くして父親と死別したこと以外には、取り立てて問題があったわけではなかった。また問題行動も見られなかった。
高等科を卒業し国鉄職員になった後は、東京機関区で東京―沼津間の電気機関車の機関助手として働き始めた。機関区周辺は別荘地帯で、富豪や華族階級が豪邸をかまえていた。
近くの小学生の女児たちには「電気機関車のお兄ちゃん」と親しまれ、Hは人気者であった。この女児たちも"お嬢様"ではあったが、お菓子をあげたり、機関車に乗せたりして遊んでやった。
職員試験に受かった3日後、Hはお礼参りで明治神宮に参拝に行ったが、その帰りにK学院初等科5年の男爵令嬢のM子さん(当時12歳)の定期券を拾った。このことがきっかけとなりHはM子さんに声をかけ、都内を3日間連れまわした後、警官から不審尋問されて、逮捕された。
Hの罪は戦時強制猥褻罪であった。
結局懲役3年の実刑判決を受け、前科一犯となったHは、八王子の少年刑務所に移されたが、終戦目前の7月30日に看守の目を盗んで脱走してしまった。
そこから朝鮮へ逃亡し、終戦を迎えた。日本に戻ったHは偽名を使い、日雇いの仕事などをしながら自由な生活を送っていた。
―戦後始めての誘拐事件―
昭和21年3月14日、N女子大の付属学校に通う、企業の専務の長女F子ちゃんにHは言葉巧みに近づき誘拐した。
Hはまず甲府へ行き、安いワンピースを買ってやって、兄妹と名乗って安宿を転々とした。この逃避行は、F子ちゃんにとって不愉快なものではなかったと見られた。米軍兵にもらったバターやチョコレートを二人で一緒に食べるほど親しくなっていた。
Hは日雇いの仕事などをしながらのF子ちゃんと逃亡生活を続けたが、食事にありつけない日もあった。北海道まで逃げた二人は、養狐場で働くようになった。だがここも長続きせず、生活は行き詰まりを見せた。
この事件は戦後の誘拐事件第1号であったが、被害者家族の申し入れで、ほとんど新聞に載ることはなかった。
HはF子ちゃんに、母親に宛てた金の無心をする内容の手紙を書かせている。その時何気なく言ったF子ちゃんの言葉が、K子さん誘拐の導線になった。
「手紙を書くのはいいけど、あたしのところよりも、K子さんの家の方が、ずっとお金持ちよ。あそこからなんとかお金をもらえないかしら。」
手紙を受け取った母親は、金を準備し受け取り場所の築地の寺へ向かった。その周辺を刑事が張り込んでいた。
だが約束の時間に金を受け取りに現れたのはHではなく、誘拐されていたF子ちゃん本人だった。
母親からの合図で、刑事が走り寄って犯人に手錠をかける手筈になっていたが、わが子の無事な姿を見た母親は合図も忘れて娘と抱き合った。
付近にいたHの計画では、再びF子ちゃんと逃げることになっていたのだが、親子を再び引き離すことに躊躇したため、金だけ受け取って一人で逃走した。
逮捕後の供述でF子ちゃんに対するHの想いは、真剣そのものだったようだ。
「私は成人した女を1人も知りません。赤線へ行ったことは何度かありましたが、とてもそんな女を相手にする気になれませんでした。不潔な気がして・・・。私は11、2歳の少女にしか情熱を燃やすことができませんでした。子どもの頃成人の女に憧れて、その思いを満たすことができず、少女を相手にしている間に、ついにそういう異常性格が形づくられてしまったのでしょうか・・・」
「F子とは生まれて初めて激しい恋愛をしました。彼女は私にとっては永遠の女性でした。真剣に2人の結婚のことを考え、どうしてもそれを実現しようと思ったのです。そのためには、まず相当な金を握って、それをもとにして自分で独立した商売を始めなければならないと考えました。まとまった金を握るには・・・・あれこれ方法を考えているうちに、思い出したのは、いつかF子ちゃんが何気なくもらしたK子さんのことでした。」
―誘拐犯の供述―
K子さんにどうやって声をかけたかという取り調べに対しては「警察の者ですが、お父さんのことで重大事件がおきたので、あなたにお尋ねしたいことがあります」と供述している。
連れ去られた被害者のK子さんはHに対して不安を持ったりせず、懐いていたようだ。それはHがあまりに澄んだ目をしており、家ではさせてもらえなかった新鮮な体験をさせてもらい、気前がよく、決して嫌がるようなことはしなかったからだと考えられる。
裁判でHには、懲役10年が言い渡された。2度の恩赦を受けたHは、54年1月に仮出所している。Hは29歳になっていた。
彼の愛した少女たちは、立派な大人の女性へと成長していた。K子さんは事件のあと急に大人びたと伝えられている。後に大学の教授夫人となった。