2002年に日本を震撼させた殺人事件だ。 家族に殺し合いをさせ、子供にまで殺人や遺体の解体を行わせた日本犯罪史上最悪の残虐事件である。
犯人は松永太、川村智子(仮名※以下、智子とする)。主犯の松永はその強烈な残虐性で話題となった。
― 事件の発覚 ―
2002年3月、17歳の少女Aが北九州のとあるマンションの一室から逃げ出し、祖父母宅へ助けを求めに駆け込んだ。 「ずっと監禁されていた」 少女Aはそう祖父母に伝えた。 少女Aの右足の親指は生爪が剥がれており、虐待の形跡があった。 「ペンチを渡されて『自分で爪を剥げ』と言われたので剥がした」とのことだった。
その後、少女Aは警察へ駆け込んだ。 少女Aが監禁されていたマンションの住人である、松永と智子の2人が逮捕された。 当初は「少女への傷害と監禁事件」と思われた。 だが、暴行を行ったと思われる両容疑者は、容疑や名前も含めて完全黙秘を続け、身元もはっきりわからなかった。 数日後、少女Aの証言により、この松永と智子による前代未聞の恐るべき大量殺人が発覚することになる。
― 衝撃の自供 ―
少女Aの証言により松永と智子はこの少女の父親Bの知り合いで、5~6年前から4人で暮らすようになった。 しかし暮らし始めて約1年後に父親Bが行方不明になり、その後は3人で暮らしていたことがわかる。
そして後日、別の場所で4人の子どもが発見される。少女は、この4人の子供の世話をさせられていた。 4人のうち発見された双子の子どもの親は、ここに預けられていたことすら知らなかった。 残り2人については後日、DNA鑑定で松永と智子の子供と判明。
数日後、少女Aが「自分の父親B(当時34歳)は松永と智子に殺された」と証言した。 事件は大きく動くことになる。 さらに少女Aの証言は、捜査員達に想像すらできない衝撃の真実だった。 なんと共犯者である智子の父親C(当時61歳)、母親D(当時58歳)、妹E(当時33歳)、妹の夫F(当時38歳)、姪G(当時10歳)、甥H(当時5歳)の6人が松永と智子に殺害され、遺体は解体されて海などにばらまかれたと証言したのだ。 警察は、少女Aの証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」まで切り出し、DNA鑑定を行ったが、時間がたっていることと、なにより7人の遺体がすでに完全に消滅しているため、物的証拠が何もないという状態であった。 殺人の証拠は見つからなかったが最後は、智子が自白することで改めて事件の概要が判明した。
― 拷問・殺害・死体損壊 ―
この事件の主犯は松永であり、智子は共犯者だった。 松永は比較的顔が良く口が巧く、そして残虐だった。
高校卒業後、父親の布団販売業を手伝いつつ、19歳で結婚。その後、布団販売会社を設立したが、粗悪品を訪問販売で売りつける詐欺会社だった。 契約を取れない社員をリンチ、信販会社の社長を恐喝するなど、犯罪行為を度々おこなっていた。
松永が23歳の時、高校時代の同級生、智子と愛人関係になった。智子の両親は松永との交際に猛反対した。 松永は智子を徹底的に暴力で支配し、肉体的・精神的に追い詰め、奴隷化した。 智子は言われるがまま、智子の実家である川村家と絶縁させられ犯罪の共犯者となった。
1993年、松永は詐欺と恐喝の末、会社は経営破綻。 智子は第一子を出産したが、金銭的に緊迫していた。 そこで松永は持ち前のルックスと話術で結婚詐欺を思いつく。 既に結婚していて3つ子を持つ女を口説き落とし、離婚させ、金を搾り取った。 この女性はすぐに財力が付き、松永は同時に去っていった。 その後、3つ子のうちの1人が不審死を遂げた。
1994年、この年に松永は狂気の世界に足を踏み込むことになる。 松永は次のターゲットとして、離婚して10歳の娘(少女A)と暮らす男Bに定めた。 酒の席で過去に男Bが犯した軽犯罪の話を聞き出し、脅迫しマインドコントロール。 松永は男B、少女Aと一緒に暮らし始めた。
そして男Bに想像を絶する拷問をおこなうようになった。 拷問に耐えられなくなった男Bはマンションから逃げ出そうとするが、見張りをしていた智子に見つかり、風呂場に何日も閉じ込められ、食事制限や拷問を繰り返された。
食事は一日一回、インスタントラーメンや丼飯一杯。10分以内に食べ終わらないと通電した。 つらい姿勢や直立不動を長時間強要し、少しでも動けば通電した。 2月という寒い季節に、一切の暖房器具も寝具も与えずワイシャツ1枚で風呂場で寝かせていた。 同時に男Bに消費者金融や知り合いに金を借りさせ、奪っていた。
男Bが栄養失調のため嘔吐や下痢を繰り返すようになると、その吐瀉物や大便を食べることを強要し、その他にも裸にし冷水を浴びせる、殴打する、空き瓶で脛を長時間にわたって執拗に殴るなどの虐待を続けた。
同じ頃、松永は別の女性にも結婚詐欺をおこない、マンションに監禁していた。こちらも通電リンチの他、金を搾り取られていたが、アパートの2階から飛び降りて脱出し(この際に腰骨骨折や肺挫折を負った)、何とか助かっている。
しかし男Bは拷問の末に心身ともに衰弱し、1996年2月26日に死亡した。 松永は男Bの遺体処理を智子と少女Aに命じた。
少女Aは、実の父親である男Bの死体を処理させられたのだ。智子と少女Aはノコギリやミキサーで遺体を解体し、鍋で煮込んだ後、海に廃棄。肉汁は公衆トイレへ流した。
智子はこの死体解体の直後、第二子を出産した。
1997年、 殺人の共犯、拷問に耐えられなくなった智子は、松永の元から逃げ出した。 しかし松永は智子の家族を利用し、自身の偽の葬式を敢行。 これに引っ掛かった智子は松永の元に帰ってきてしまい、取り押さえられて家族の前で通電された。 なんと智子の家族もすでに松永のマインドコントロールの配下にあったのだ。
松永は智子に命じ、それまで良くしてくれた人達に罵倒電話をかけさせ、智子の味方との縁を断たせた。 そして同じマンションで智子の親族6人、松永・智子、少女A、松永と智子の子供2名が同居を開始した。 智子の実家である川村家は財産のほとんどを松永被告に吸い取られていた。松永は家族全員に通電による虐待を繰り返し、食事も満足に与えなかった。
12月21日、松永は智子の父親Cを智子自身に殺害させた。智子は命令通り、自分の父に手をかけた。 遺体は残された川村家親族によって、少女Aの父親Bと同様の手段により解体・遺棄される。
1998年1月20日、松永は智子の妹の夫F、智子の妹Eに智子の母親Dを絞殺させる。 手をかけたのは妹の夫F、足を押さえたのは妹Eとされる。 2月10日頃、松永は智子の妹の夫Fと智子の姪Gに智子の妹Eを殺害させる。妹Eは自分の夫と子供に殺害されることになった。 4月8日頃、虐待と不十分な食事で栄養失調の状態にあった智子の妹の夫Fは、高度の飢餓状態に基づく胃腸障害を発症。 しかし、松永はマンション浴室内に閉じ込めたまま放置して衰弱させ死亡させた。 5月17日頃、松永は智子の姪Gに智子の甥Hを殺害させた。 すでに殺害されていた母親(智子の妹E)に会わせると騙した上、智子の姪Gに智子の甥Hを殺害させた。 足を押さえたのは監禁されていた少女A、手を押さえたのは智子とされる。
最後に殺されたのは智子の姪Gだった。 6月7日頃、松永は監禁していた少女Aに電気コードでの首を絞めさせ、感電死もしくは窒息死させた。
殺害された被害者は順次、残った家族の手によってノコギリでバラバラにされ、その後ミキサーにかけられた。 智子は肉汁をペットボトルに入れ、近くの公衆便所から流し証拠隠滅を図った。松永は決して自分の手を汚そうとしなかった。
そして川村一家は松永の暴走により、姿形もなく消えた。 何故、松永はそこまで人をマインドコントロールできたのか? それは相手の「弱み」「虐待」「書類」を盾に、「食事」「排泄」「睡眠」など様々な生活制限を強いた。 違反した場合は、さらなる虐待を強いた。これらによって被害者は精神的に追い詰められ、服従せざるをえない環境になっていた。
2005年3月、福岡地裁において検察は松永、智子の両名に死刑を求刑。同年9月、死刑判決。 松永は公判中も、持ち前の口の上手さで、その場しのぎのデタラメな、一貫性のない証言をしていた。 死刑判決後ただちに控訴したが、松永の死刑判決は当然維持された。