昭和61年11月8日未明、東京都杉並区井草の建設会社社長(当時69歳)の自宅から出火した。
通報で駆けつけた消防隊員が消火活動を行ったが、焼け跡から建設会社社長と内妻(当時65歳)、次男で同社の常務取締役の妻(当時27歳)と娘(当時2歳)の4人の焼死体が発見された。
遺体には不審な点があり、管轄の荻窪署は司法解剖を依頼した。その結果、4人の死因は絞殺であることが判明したため、同署に捜査本部を設置して本格的な捜査に乗り出した。
捜査本部は手始めに、次男の常務取締役の行方を追った。出火段階から次男は行方不明で、しかも車も見当たらなかった。
このため、放火殺人の犯人は次男とみて全国に指名手配すると共に会社関係者や近所への聞き込み捜査を行った。
この結果、次男は会社の社員に「家族4人は法事のため故郷の秋田に帰った」と話していたこと、父の個人名義や会社名義の預金口座から合わせて1000万円の現金が引き出されていること、次男は妻と度々喧嘩をしており家庭内でも孤立していたことなどがわかった。
この状況から捜査本部は、次男は4日未明から5日にかけて4人を殺害し、8日未明に放火して逃亡したものと推定した。
― 逮捕 ―
翌日の9日午前10時過ぎ、宮城県警は仙台市内で交通違反の一斉取締りをしていた。
警察官は、他県ナンバーで挙動が不審な車の停止を命じた。運転者に運転免許の提示を求めたところ、不携帯であったため交番で事情聴取を行った。すると、この男は全国に指名手配されている次男であることが判明。次男は素直に家族4人の殺害を認めたため、身柄を荻窪署の捜査本部に引き渡した。
― 驚くべき真実 ―
次男の名はR。Rの兄は大学生の時に交通事故で亡くなった。
このため次男のRが会社を引継ぐため常務取締役として働いていた。その後、父は内妻と同居し会社では経理担当役員として勤めさせた。
Rに思いがけない不幸が舞い込んだのは同年の春だった。
Rが建築現場に向かうため車を運転中、飛び出してきた子供を避けようと急ハンドルをきった途端、土手を乗り越えて川原に転落し頭部を強打する重傷を負った。命に別条はなかったものの、Rは時々一時的に記憶がなくなる「逆行性健忘症」の後遺症が残った。
事件前にも、杉並署の警察官に職務質問を受けた際、自分の名前や住所を忘れ一旦保護されたこともあった。この時は、徐々に記憶が戻り父親に引取られて自宅に戻った。
Rは警察の取調べで犯行に至った動機を次のように供述した。
「11月3日の夜、2歳になる娘の教育について妻と相談した。妻は0歳から英才教育が必要だと言って塾に入れようとした。自分は反対だったため妻と口論となった。このため、カッとなって妻と娘を絞殺した」という。
さらに父親に自首するため犯行を打ち明けたところ、「自分で仕出かしたことは自分で始末しろ」と冷たく言われたため父親と義母も殺して放火したというものだった。
だが、警察はこの程度の動機で4人も殺害するとは思えなかった。
そこで、Rを厳しく追及したところ、「以前から娘は自分の子ではないのではないか、という疑念を持っていた。妻と口論した際、興奮した妻が"この子は他の男の子よ"と口走った。その一言で逆上し妻と娘を絞殺した」と供述。
さらに父親に犯行を打ち明けて詫びたとき、父親からは「お前が何しようと俺には関係無い。大体お前は俺の子じゃない。母親が浮気して生んだ子だ」と言われ、自分の出生の秘密と自分の子供の疑惑が重なり、錯乱の中で4人を殺害し自宅1階に灯油を撒いて火をつけて逃走したと供述した。
この驚くべき真実は本当だったのだろうか?
Rの供述の真偽は確認できない。
公判では検察側の死刑求刑に対して東京地裁はRに無期懲役を言い渡した。
検察側は控訴したが、東京高裁は控訴を棄却。検察側の上告断念によりRに無期懲役が確定した。