以下の登場人物を仮名とする
複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・殺人・死体遺棄事件であり、一部国民の警察不信の一因となった事件。
事件発覚後、栃木県警は世論および裁判所から厳しく批判された。
― 凶悪なリンチ ―
栃木県警警部補を父に持つ犯人藤原(当時19歳)は小学生の頃から非行を重ね、中学生当時には100万円の恐喝を犯していた。通信制の高等学校を退学した後は暴走族に入り、恐喝や傷害などの事件を度々起こしていた。
共犯者である、中学時代からの同級生、社員の植村(当時19歳、日産自動車栃木工場勤務)・無職の松下(当時19歳)はともに暴走族仲間で、やがて植村は会社の同期で性格がおとなしい佐々木さんから金を巻き上げようとした。そして1999年9月29日、植村が佐々木さんを電話で呼び出すと、藤原らは佐々木さんを拉致し、サラ金から次々と借金をさせて遊興費にあてた。
被害者のあまりの脅えようを良いことに、さらに金づるにしようと考え、公園内で代わる代わる暴行を加え、その後被害者が逃走しないようにと、コンビニで購入した鋏と剃刀で頭髪を剃り落とし、眉まで剃り落とた。
佐々木さんの知人や友人から金を借りさせ、およそ2ヶ月にわたって佐々木さんを連れまわした。その間、佐々木さんをホテルなどに監禁し、最高温度のシャワーをかけたり、殺虫スプレーにライターで火をつけ浴びせたり、佐々木さんを散々にいたぶった。それにより佐々木さんの肌は焼けただれ、顔ははれあがった。
死体を検死した段階では皮膚の8割が火傷を負い、たとえ絞殺されなくともいずれ死亡したと思われるほどに酷い外傷であった。にも関わらず、病院に一度連れて行ったきりで何の治療も施さず、火傷した皮膚にさらに90℃以上のポットの熱湯をかけ風呂場に連れ込んで日常的に熱湯シャワーをかけ、抵抗すると殴り続けるなどのリンチを加えていた。
― 警察も会社も…非道な対応 ―
佐々木さんの失踪に不審を抱いた佐々木さんの両親は、栃木県警石橋警察署(現・下野警察署)に捜査を依頼するが、応対した担当官は「息子さんが悪いんじゃないの」「仲間と遊んでいるんだろう」「警察は事件にならないと動かないよ」などと佐々木さんの両親を突き放した。
その後両親は宇都宮東警察署、宇都宮中央警察署、黒羽警察署(2006年、大田原警察署へ統合)栃木県警本部にも捜査を懇願し続けたが、すべて拒否された。
佐々木さんが勤務していたN自動車も植村の証言を鵜呑みにして「佐々木さんが嘘を言っているのかもしれない」との見解を示した。しかし植村は社内でも札付きの存在に対し、佐々木さんは評判も良い真面目な社員であり、この対応は不自然であるとして、N自動車による事件隠しではないかと推察しているジャーナリストもいる。
両親は独力で佐々木さんが監禁・暴行されている事実をつかみ、犯人グループに植村と松下がいるということを突き止めた。
しかし、それでも石橋警察署は全く動こうとはしなかったのである。
やがて、佐々木さんから両親のもとに金を無心する電話がかかるようになり、両親は佐々木さんの安全のために金を振り込み続けた。その金を銀行に下ろしに来た佐々木さんの姿が銀行の防犯ビデオに映っており、銀行の関係者は「複数の男たちがついていました。ビデオを証拠として提出する用意があるので警察に相談してください」と佐々木さんの両親に勧め、佐々木さんの両親は再び石橋警察署を訪れ、ビデオテープを証拠品として銀行から取り寄せるよう依頼した。
しかし、石橋署の署員は再び突き放し、佐々木さんから両親に電話がかかってきた際に父親は息子の危険を信じてもらえるよう「お父さんの友人がいるから」と警察官に携帯電話を渡した。その警察官は「石橋の警察だ。」と名乗り、「切れちゃった」と言って電話を父親に返したという。
犯人が捕まったとき、栃木県警はそのときの様子を、母親が電話に出て暴言を吐いたことが殺害されるきっかけになったと責任を遺族に転嫁し、事実を歪曲させた発表をしたのである。
さらに、刑事裁判の中で犯人らは「親へ電話をかけさせて金を出させようとしたが、警察と名のる人物が出たので慌てて電話を切り、捕まらないように殺害することを決めた。」と供述している。
― 犯人逮捕に至るまで ―
1999年12月2日、犯行に途中から加わった高校生の井上(当時16歳)とともに藤原らは、佐々木さんを紐で首を絞め殺害し山林に埋めた。死体を埋めるコンクリートやベニヤ板、スコップ、砂利は佐々木さんの最後の給料で購入した。死体を隠した後藤原らは「十五年逃げ切ればいい」と、『追悼花火大会』と称して花火で遊ぶなどしていた。
しかし、良心の呵責に耐えられなかった井上が12月4日、警視庁三田警察署に自首して事件が発覚。遺体を発見し、翌日警視庁は藤原・植村・松下を逮捕した。
雑誌やテレビのワイドショーも次々と少年犯罪の凄惨さと警察の不手際を報じるようになり、全国的な関心が高まった。
なお、メディア世論の批判を浴びた栃木県警は佐々木さんの両親の訴えを無視し続けた警察官らを懲戒処分にしたが、最も罰が重い者で「停職14日間」であまりにも軽い処分であった。
自首によって事件解決のきっかけをつくった井上は酌量が認められ少年院送致となった。藤原・植村・松下も事件当時未成年だったが、東京家庭裁判所は刑事処分相当として逆送し、宇都宮地方検察庁は殺人・死体遺棄罪で藤原らを起訴した。佐々木さんの遺族は強盗殺人罪で起訴するよう宇都宮検察審査会に陳述書を提出したが、棄却されている。
2000年6月1日、宇都宮地方裁判所は、「犯行は計画的で凶悪。極めて自己中心的で酌量の余地は全くない」として藤原・植村に無期懲役、松下に懲役5~10年の判決を下した。藤原は控訴したが棄却され、藤原の判決が確定した。藤原は裁判中、リンチの際の佐々木さんの様子を見て「楽しかった」と発言。また、一時は「死刑を覚悟している」と言っていたが「佐々木君の分まで長生きしたいというのが正直な気持ち」と発言を覆した。