1932年(昭和7年)、現在の東京都墨田区東向島4丁目から6丁目にかけて玉の井とよばれる私娼街があった。
その玉の井のすぐ近くに、通称 「お歯黒どぶ」 という下水溝があり、ヘドロまみれの光景はまるで、お歯黒の液を流したように黒く濁っていた。
メタンガスの泡がぶつぶつと発生する汚水の掘で、犬や猫の死骸の他、玉の井の女が出産し、処置に困って遺棄した嬰児の死体がよく発見されたという。
同年3月7日午前9時ごろ、子供がその 「お歯黒どぶ」 に下駄を落としてしまった。
呉服商の男性が駆けつけ、棒でどぶをかき回して下駄を探してあげていた。
すると、黒い水面に血が広がった。
そして白地の浴衣で包み麻の細ひもで厳重にぐるぐる巻きに縛ったものが浮かんできた。
男性はすぐに交番に届け出た。
巡査が現場に駆けつけ、引き上げられた包装を解いてみると、切断された男の胴体が中から現れた。
巡査は救援を呼び、どぶの少し離れたところからさらに、2つの包みを発見した。
どぶから引き上げた3個の包みの中身は、推定30歳ぐらいの男の首、乳部から上の胸部、へそから下の腰部が発見された。
つけ根から切断された両腕、両脚はなく、また、乳部からへそまでの胴体は発見されなかった。
― 難航する捜査 ―
事件後すぐに捜査本部が設置された。
翌日の3月8日正午から、東京帝大(現・東京大学)で遺体の解剖がおこなわれた。
年齢は30歳前後、顔は日焼けし、骨格、右肩の筋肉が発達しているところから肉体労働者と想定された。
顔の特徴は角張った方で、富士額、門歯の裏には2重の犬歯があり、臀部には皮膚病のあとがあった。
死後1週間ぐらい、致命傷は前額部から左にかけて鈍器状の物による乱打。脳震盪脳挫傷。猛烈な打撃によって顎は粉砕され下前歯3本が折れている。
軽い肋膜炎の治療痕がある。鼻腔、口などには布団の古綿が詰められていた。
胴体を結わえたひもには女の毛髪が6本付着していた。さらに、猫の毛も付着していた。
また、鰯のうろこも発見された。
泥水の浸潤状態から推して、死体を現場に遺棄したのは発見された日の前日の6日夜としている。
「お歯黒どぶ」の捜査もおこなわれた。捜査員が必死になってどぶさらいを行ったが証拠は見つからなかった。
周辺への聞き込み捜査をしたが、これといった収穫はなかった。
事件の難航、そしてまだつかまらぬ犯人のために、玉の井は壊滅的な被害を受けていた。
娼婦目当てにくる一日の客は1万人と言われていたが、この事件発生後、約3分の1に減り、その周辺の酒場、めし屋などまでダメージを受けた。
マスコミや玉の井からの重圧もあり、捜査本部も懸賞金を出すことになった。
しかし犯人どころか被害者の身元もわからないままだった。
― 事件解決へ ―
玉の井のバラバラ事件は、誰もが迷宮入りかと思っていた。
しかし事件は急展開を迎えることになる。
9月27日、警察署長が署員数名を連れて現場視察に出かけた。
これに同行した巡査(当時28歳)は3年前の8月に、富士額で、八重歯の男を不審尋問したことを思い出した。
その男はC(当時27歳)という浮浪者で、K子(当時8歳)という子供を連れていた。
このCが被害者ではないかとひらめいた。
男は「妻に死なれた上に失業し、浮浪者になった」と言った。
巡査は同情し、子供を自分の家に引き取って、Cを運送屋へ世話をしたが3日坊主ですぐに辞めてしまっていた。
巡査が「もう故郷へ帰れ」というと、Cは「故郷へ戻れば財産がある」と言うので、巡査はしかたなく金を与えて上野駅から列車に乗り込ませたというのである。
捜査した結果、CとK子は本郷のH方に寄宿していることが分かった。
10月16日、警察はH(当時39歳)に会って、Cの消息を訊いた。
「確かに、1年ほど前から引き取っていたが、今年の2月ごろから家を飛び出したきりです」と言う。
近隣で聞き込みをすると、Cはいつも揉め事をおこしていたことがわかった。
さらに調査を進めていくとHは建具職人だったが、このときは正業を持たず、春画を描いてはそれをCに売らせていたことが分かった。
揉め事の原因は、Cが春画を売った金を勝手に使ってしまうことだった。
― 真実 ―
10月20日、警察はHを有力容疑者として、水上署に連行。
厳しい取調べの結果、C殺しを認めた。
「Cを救ったのに、恩を仇で返すようなCの態度に怒りがわき、自分1人で殺しました」
単独犯行であることを主張した。彼の自供から犯行の経緯を知った世間は同情的だった。
しかし、そのあとに自供内容が変わった。
「Cを引き取ったのは秋田にあるという財産が目当てだった。計画的に殺して弟と妹が手伝った」
と自供しはじめた。
H一家には3兄弟と病気がちな母がいた。
Hは春画を書いて売りにいき、妹はバーの女給、弟は印刷工として働いていたが、生活は厳しく貧しかった。
事件発生の前年、Hが浅草花屋敷に遊びに行った帰り、木馬館裏のベンチでうずくまっていたC親子を見つけた。
Hが声をかけると、Cは「自分には財産があるから助けて欲しい」と語った。
Hは財産目当てでC親子を家に連れて帰った。
しかしすべては嘘だった。
すぐにCは凶暴な本性を見せ始めた。
Hが「出てけ」と言ってもCは一向に出ていかず居座った。
Cはただでさえ貧しいH一家のお荷物になった。
Hと弟はCを殺そうと考えていた。
Hは近くの湯島小学校で開かれた青年団の演説会にCを無理に誘い出した。
そして自宅に戻ったところで、用意していたスパナを振り上げてCの後頭部を殴った。
Cが猛然と怒ってHに掴みかかろうとしたとき、弟がバットでCの足を一撃した。
横転したCをHと弟がスパナとバットでメッタ打ち。このとき、妹は見張り役になって、外出中の母親とK子が帰って来ないかと警戒していた。
Cは動かなくなり、息を引き取った。
Cの死体はいったん台所の床下に放り込んでおいた。
2日がかりで死体をバラバラにし、「お歯黒どぶ」に首部ひと包みと胴部2包みを捨てた。
問題の死体の未発見部分の両手足と腹部は東京帝大工学部の廃館2階の左側廊下の床下に隠した。
すべての部分が発見されたことにより事件は終結をむかえた。
【判決】
Hに懲役12年、
Hの弟に懲役6年、
Hの妹に懲役6ヶ月・執行猶予3年が下された。