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恐怖の殺人の真実

秋田児童連続殺害事件

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秋田児童連続殺害事件

―幼い命―
2006年4月9日、秋田県藤里町の団地に住む小学4年の女児Aちゃん(当時9歳)の行方がわからなくなった。

4月10日、自宅から南へ約10km離れた能代市内の川で遺体で発見された。死因は水死だった。 4月11日、秋田県警は「事件ではなく、事故の可能性が高い」と判断し、捜査態勢を80人から20人に縮小した。

少し静けさを取り戻した5月17日、今度はAちゃん宅の2軒隣の小学1年の男児Bくん(当時7歳)が行方不明になり、18日午後、約12km離れた川岸で遺体で見つかった。

川で発見された遺体ではあったが、Bくんの首に絞められた跡があり、秋田県警は殺人事件として捜査を始めた。

Bくんの遺体に付着していた毛髪などから、県警は4月に遺体で見つかったAちゃんの母親で無職のH(当時33歳)を6月4日、死体遺棄容疑で逮捕した。

容疑者のHはBくんの殺害を認め、死体遺棄罪で起訴された6月25日に、殺人容疑で再逮捕された。

取り調べに対し、Hは長女を藤里町内の橋から約8m下の川に突き落としたことを認めたため、7月18日に長女殺害容疑で再逮捕した。

この連続殺人事件の捜査には手抜きがあったという非難を受け、9月の県議会で県警本部長は、「(女児殺害事件の初動捜査については、)しっかり聞き込みをしていれば、事件に関連する情報を入手できた可能性も否定できない」と弁明している。

いずれにせよ、事件の流れは裁判で明らかになった。

2006年4月9日午後6時40分過ぎ、大沢橋の欄干のすき間から川面を見ているAちゃんが、魚を見たいと言って帰ろうとしなかったため、とっさに突き落とす。橋の危険な場所に我が子を座らせ、転落後に助けようとしていないため、殺意に基づき突き落としたという行動は明らかだった。

精神鑑定によると、Aちゃん殺害後、Hは急速に記憶を抑圧し始め、2006年4月11日前後には女児を欄干から落下させた記憶は、すぐには想起されない状態になっていた。つまり都合のいい自己記憶喪失に近い状況にあった。

2006年5月17日、午後3時を過ぎたとき、Hは近所の男児に「娘の思い出に何かもらってほしいんだけれども」と声をかけた。

Hは男児の姿を間近で見ているうちに「娘はいないのに、なんでこんなに元気なのか」と思い
「娘の死が事故ではなく事件であったことに目を向けさせる絶好の機会だ。」と考え、腰ひもを首に巻き付け窒息死させた。

―殺意認定―
2008年3月19日、秋田地方裁判所で始まった裁判は、一審の判決が下される。以下に判決の要旨をまとめる。

幼い児童らの無警戒につけ込んでおり、各犯行が凶悪かつ卑劣であることは論をまたないが、女児殺害は父親の介護や母子家庭であるがゆえの不安、思うように就職できない不満など、必ずしもすべてを被告の責めに帰すことのできない事情により衝動的・突発的に敢行された。

男児殺害当時、被告は自らが自分の娘を殺害した事実を認識していなかった状態であり、記憶を保ちつつ連続殺人を行った場合に比べ、悪質性は多少なりとも減じられる。計画性も認められない。

学校内の盗みにより高校で停学処分を受けているが前科前歴は無く、矯正教育を試みる余地がある。

これらを総合考慮し、多くの裁判例で示された量刑動向も踏まえると、死刑を選択するほかないと断じることには躊躇を覚えざるを得ず、贖罪のため全生涯をささげることを強く求める。

なお仮釈放にあたっては、刑事責任が重大であることに加え、内省が表面的にとどまるという性格特性の改善が容易でないことにも十分留意されることを希望する。

2008年3月19日、秋田地方裁判所で無期懲役の判決が出る。

2009年3月25日、仙台高裁秋田支部で控訴棄却。
2009年4月8日、弁護側が上告。
2009年5月18日、上告を取り下げ、無期懲役が確定した。

―過激な取材合戦―
また、この事件では、女子児童の母であるH(当時33歳)が当初「長女を事故だと断定した警察に不信感がある」などと発言して、自らで長女の消息を求めるビラなどを付近に配布するなどの行動を起こしていたことが不可解だということで、ニュースやワイドショーなどに大きく取り上げられた。

このパフォーマンスにメディアが殺到し(メディアスクラム)、一部のメディアは容疑者が外出する際にしつこく付きまとい、メディアの取材に対する苦情やトラブルが相次いで起こった。

こうした事態を重く見たBPO(放送倫理・番組向上機構)が、5月24日に放送各社に「節度をもって取材に当たる」ようにと要望する事態にまで発展したことでも特異だった。

メディアスクラムは、1994年に起こった松本サリン事件や1998年に和歌山毒物カレー事件でも問題になったが、取材の過激さが、周辺住民の生活に悪影響を与える事態は一向に改善されていない。

Hは、留置場で「検事さんのネクタイが4日間同じで、笑いをこらえるのに必死だった」などと話した逸話も残っている。

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